(自分語りと社会科学)能動型天才と受動型天才とギフテッド。


骨子

世間で己の才能を誇示している自称天才の殆どは「天才」いう言い方は間違っており「ギフテッド」なら妥当 。
両者の主な違いは、与える者が天か神かだ。

それと、彼らには「積極型天才」という言い方が妥当だと思う。 逆は受動型天才だ。
積極型とは、積極的に誇示してこそ天才の名声を得れるという意味。
本当の意味は裏返しに有り、土台は凡人と言うこと。

例えば学校においては。特に頭の良い人であるものの、どの学年にも一人は居るという程度であり、何か凄い成果を上げて誇示しなければ全然注目されない。
で、理系の分野での学生コンクールで成績を上げる等してこそ注目される。


また、成果が通用する範囲でしか原則天才と扱われない。
例えば数学や化学のコンクールで賞を取ったとすると、その分野への興味が強い人はまともに興味を持つものの、多少の興味の程度の人は多少興味を持つだけで数か月で忘れて、全然興味ない人は他人事。
何せ、土台が凡人なため、成果以外には凡人から脱するものは無いので。
以下キリが無いので略、つまり元は凡人だ。
そして成果を誇示し、周囲が持ち上げることにより天才とする、それは勿論積極的な結果だ。


まぁ、例外は有るが。
例えばマスメディアなどで多く取り上げられると、その人はジャンル関係無く全国的に注目されるべきという印象が発生するため、ジャンル関係無く興味を持たれやすい。
とは言っても、興味を持たれる原因は「全国的な有名人」という権威で有り、当人自身の資質には無い。
こういう状況は社会の様々な場面に有る。
例えば小学生が学生コンクールで賞を取った場合に、朝礼で校長先生が当人を脇に置いて褒めまくれば上記のような権威が発生し、学校全体で注目される。
まぁ、その場合でも学校内でのみだが。
他、中高生や企業でも同様で、権威を伴った周知が有れば、その権威が通用する範囲で注目される。

とは言っても、通用する範囲でしか注目されない事は変わりやしない。それと、土台が凡人であることも。


受動型は総じて逆だ。
生まれ持った事象が程度だけでなく種類も異様なため、誇示するものが無くても凄く注目される。
また、注目される原因が成果ではなく本人自身のため、ジャンル関係無く注目される、無論、凡そ全ての範囲にだ。
土台からして天才だ。
そして積極的行為が無いどころか本人が望まなくても避けたくても周囲が天才とする、それは勿論受動的な結果だ。


そもそも天才とは与えられるという意味であり、当人の意志関係無く決められる、そのような受動的なもののはずだ。
だから積極的であってこその者は「まがい者」のはずだ。

ただしギフテッドは該当する、その事情は与える者が神であることと、その経緯だ。
ギフテッドと定義されるのは生まれる時点ではない。
例えば、母親が主張したり、何か頭良さそうな事をアピールした等の切欠だ。
また、与えるのは天ではなく、周囲の人全般が標榜したり、何かの組織の有力者等で、それが神の名を利用して与える。
無論、そのような様相は後天的であり、積極的な行為だ。

さらに姑息なことに、そのような積極的な様相を受動的のように詐称すること。
神に与えられたという口実で……神の名を利用して。
また、先天的であることも詐称というか、天才だと定義したのは産まれてから随分経った後なのに、あたかも産まれた時点から持ってたと標榜する。

まぁ、傍から見れば冷笑ものだが、この類の人達は己達の妄想を全肯定し、集団極性化を伴うため、凄く自信を持ってギフテッドとして言い回る。
こういう状況のため、皮肉的な意味でギフテッドが妥当だ。


逆説的な事だが、積極型はまがい者だからこそ「本物が受ける負の側面」とは無縁で、それにより成功しやすい。

受動型は負の側面が深刻だ、何せ、常に異様な程度と種類の様相を放ち続けるため、見聞きする全てのものが畏怖、奇異の目、迫害、疎外等、様々な負の側面を食らわす。
それによって仮に特定の組織で活躍しようとしても人間関係にて頓挫しやすいし、そもそも俗世間を避けやすい。
で、積極型にはそういうのは乏しい。

まぁ、ライバル同士の妬みや足の引っ張り合いを誇張してほざくことが有るようだが、受動型という本物の深刻さに比べれば鼻息で笑う程度だ。

欲望の差も高い。
積極型は「まがい者」だからこそ「自尊心と現実とのギャップ」等によるコンプレックスが甚だく、それが成果のための努力の動機となる。
その壮絶さにより、努力の程度も高くなり、多大な成果を上げる程になりやすい。
受動型は逆も然りで、そもそもコンプレックスの元が無いし、俗世間に求める欲望も特に高くも無いため、壮絶に努力する程の欲望が沸きにくい。

このような負の側面や欲望の差により、世間に出回る程に成果を上げるのは殆どが積極型というまがい者になる。


まぁ、たしかに、世の中で成果を誇示する自称天才の殆どは「まがい者」であるのだが、それは決して悪い意味だけではない。
何せ、世の中の役に立つためには、多大な努力や、社会のシステムに沿うことが肝心だから。
逆に、受動型は、たしかに遥かに崇高な存在だが、努力が高くなく社会のシステムに沿わぬようでは、結局役には立ちにくい。


まぁ、筆者自身、人間として持っているべきコンプレックスや欲望に欠けていて、あまり成果を上げる意欲は沸かぬ。
例えばゲームを作るにしても、俗人がゲーム作りに人生を賭ける場合は動機や欲望が壮絶だ……有り余る自己実現欲や、(自分自身を賢いと思ってるのに)世間に評価されないコンプレックスや、承認欲に飢えていてヒット作によって満たしたいとか、そのようなコンプレックスや欲望まみれだ。
そして努力も壮絶になるというか、 だからこそ余暇を全てゲーム作りに費やしたり、普通の仕事を捨てて個人製作専業になったり、他の趣味は全て黙殺したり、食事すら手抜きでマンネリだったりだ。
それによって、(まぁ殆どの人は1つもヒットしないまま死んでいくのだろうが)その一部はヒットする。
それ位に欲望が沸かぬなら大した成果を成さぬのだ。


才能の発揮方法

積極型はの才能の発揮方法には以下の特徴が有る。

◇努力は特定の目的に集中しようとする。
評価を目指して努力するのだから、無暗に分散させて無駄になるようなことは乏しい。
たとえ幾つかの技術やジャンル等に分散する場合でも、何かの地位や名声等の目的に統一されやすい。

◇努力の範囲は俗人のジャンル区分の概念に沿う。
例えば芸術や音楽等の創作界隈の活動範囲は、既に俗人によって定着したジャンルに準じる。
けっしてジャンルに囚われずに分散するものではない。
科学などの学術分野もで、既定の枠に沿って活動して成果を上げる。

◇能力の割の評価が高いもののみの方針。
目的が俗人に評価される事だから当然だ。
失策によりコスパが低くなる場合も有るが、あくまで失策だ。


受動型は総じて逆だ。

◇努力は特定の目的以外に分散されやすい。
まぁ、受動型の本人自身は何かの目的を重視している場合が有るが、それほど徹底できない。
何せ、彼の才能は遺伝子の異常によるもので、それは特定の目的なんぞ関係なく作用するもののため、少なからずランダム的になる。

◇補足、上記の「ランダム的な」の言い回しの意図は、俗人視点にはランダムのように見えると言うこと。
遺伝子自体は法則を以て作用しているし、受動型自身も「その法則」を把握しているかもしれないが、俗人は理解出来ずにランダムにしか見えない。

◇努力の範囲は俗人の区分概念には完全に沿わない。
これも遺伝子が定めたもののため、俗人のジャンル区分なんぞ関係無い。
例えば何かの芸術に没頭するにしても、俗人には理解できない分散を伴う等。

◇努力のコスパが高いもののみとは限らない。
俗人に受けにくいというか、能力の凄さの割の評価され具合が明らかに悪い事象にもランダムに作用する。


周囲からの過剰な期待による過負荷

要は、積極型においては無意識的に過負荷になりにくいように調整されるのと、当人の得にもならない負担も無い。
受動型は逆だ。
以下詳細。


積極型の場合、期待をされる範囲は原則的には親族の一部や当人が属する集団の有力者等だけだ。
何せ、当人が天才としての印象を放つ対象は、あくまでも当人が努力する相手や社会に限られるからだ。
それはタイミングもで、(受動型と違い)噂が何連鎖も波及するほどでもないため、そのタイミングに遭遇した者以外への波及は少ない。
そのため当人が意図せぬ範囲に広がることも少なく、それは負担量も同様だ。

逆に 受動型は、何かするまでも無く天才の様相を放つために、あらゆるジャンルの有力者が注目する。
それとタイミングもで、凄く異様な人物なだけに噂話も多用されるため、そのタイミングに遭遇した者以外にも多段階に波及する。
そのため当人が意図ぬ範囲に過大に広がり、負担量もで、その程度は深刻になりやすい。


どれくらい期待や負担を抱えるかの調整だが、積極型は実質的に耐えれる程度に調整される。
何せ、当人のアピールが盛んでこそ増えるもののため、負担が過大に近くなるにつれて当人のアピールが減っていけば相応に頭打ちになる。
疲弊して下げたいと思う場合、意図するまでも無いというか、疲弊によってアピールも滞れば周囲の負担も一気に減る。
このように結果的に調整される。

受動型には上記のような調整は無い。
天才としての様相を無意識的に無制限に放ち続けるため、例え負担が過大になって抑えたいとしても、抑える機能が無い。


被影響範囲と、迫害か庇護か

要は、積極型は己を迫害し得る者の範囲が限られるうえに、ほぼ確実に庇護してくれる有力者が付いていて、受動型は逆も然り。


積極型は、いくら成果を上げようとも原則当人所属ジャンルのもの以外にとっては興味ない相手である。
何せ、掲げられた成果以外に注目すべき程のものが無いからだ。
それと、周囲からの畏怖や奇異の目に関しても無縁と言うか、それを食らう程に異質でもないため、それが元で迫害や疎外を食らうことも無い。
それによる妬み僻みや、それに伴う迫害や疎外等や、色恋沙汰や人間関係の不調などとも無縁だ。
逆に受動型は、ジャンル関係無しに興味を凄く持たれ、異質過ぎるために畏怖や奇異の目の対象になり、それが元で迫害や疎外を食らう。


※上記の迫害等をまとめて「負の側面」と言い回す。一々並べるのは冗長。


さらに、積極型にはほぼ確実に守ってくれる有力者が付く。
活動に伴い、所属組織の有力者にもアピールしていくわけで、その過程で仲良くなっていく。
そして彼らが負の側面の対処をしてくれやすいのと、それ以前に、周囲の人は「有力者が付いていること」を知るためにそもそも実行自体が抑えられる。

受動型は逆だ。
受動型本人は好き好んで関わっているわけでもないため有力者との関係は乏しい。
しかも異質な存在なために、(有力者に限らず)親密になろうとする相手は乏しく、利害関係無しに支えになろうとする有力者は期待できない。
そういう事情により庇護は期待できない……まぁ……リスクより利得が遥かに上回りそうな状況だけでは庇護しようとするかもしれないが、そうでければ即刻背中を向ける程度だ。
それと、周の人達全般は「庇護が無いこと」を見抜くため、負の側面を食らわすことの抑制は無い。


で、結論は、これらを総合したものになる。
受動型は、要するに右記の掛け算、「負の側面を食らう範囲の広さ」×「庇護の無さ」×「周囲の抑制の無さ」。
これでは才能は発揮されにくい。


コンプレックスと欲望と努力

積極型とは、周りの誇大な期待とは裏腹に実際には「有能者ばかりの界隈の中では平凡な程度」であるからこそ、そのギャップからコンプレックスが凄く沸いて動機も凄くなる。
それと、(まぁ俗人にとっては普通だが)努力や成果無しには自己顕示欲等が満たされにくいいこそ満たすために成果に必死になる。
それが結果的に天才と言う名声を取る元になる。
逆説性の詳細は以前の記事に書いたので省略、※リンク先の「逆説的成果理論 」。


積極型は、努力して成果をアピールするに伴い、親族や所属先が凄く評価や期待をするのだが、バイアスがかかる。
例えば数学のテストで同学年で1番を一回だけ取ったとする、その程度なら日本中に腐る程居て、所詮凡人なのだが、その程度でも周囲が物凄く評価し……これで将来数学コンクールで優秀とか期待する。
だがしかし、その程度では数学界隈では凡人だ、むしろ、更に優秀な者の下に埋もれるくらいだ。
その界隈に入る頃には自尊心も相応に高くなっている。
しかしながら実際は平凡な1人であり、周囲から寄こされる自尊心の程度も遥かに低い。
それは壮絶なコンプレックスだ。
さらに旧縁からの期待が後押しするというか、親族も元々の所属先も相変わらず過大に期待し、彼の人間関係はその期待に沿おうとする前提で成り立っているため、今更困難だと引くわけにもならない。
そして打破する方ヘ進む。
そして、 そういう者達の一部は運や機会にも恵まれて多大な成果をあげて、天才の名声を取る。

無論、そんなものは成功者バイアスと言うか、極一部の目立つ成功者の下に大量の挫折者が居て、そのため彼ら全体での幸福度の平均値は低いのだが。


受動型の場合、周囲が過大な評価や期待を寄こしまくったころで、その負の側面が深刻なために、まともに受け止めない。
客観的に周囲が過大評価していると判断し、自分自身の凄さの判断において冷静さを保つ。
そのため、優秀な人ばかりの領域に入った場合には、その状況を冷静に受け止め、コンプレックスを伴うわけでもない。
そして、積極型のような「コンプレックスによる成果意欲」は出ない。
まぁ、好き好んで努力したくなった場合には努力するだろうが、物凄く努力する位に好き好む確率が高いわけでもない。


与えたのは天か神か

ギフテッドの発祥はキリスト教での「神から授かった才能」であり、日本人が使う場合もそこから参照するため、ほぼ完全にキリスト教のみを指す。
勿論一神教であり、一神教的な価値観に基づいた考え方である。
まぁ、遺伝子の突然変異が皆に理解されている現代においては作り話なのは明白だ。
その事はギフテッド界隈も(一部の極端な宗教信者を除き)分かっているはずだが、その上で神とする。
つまり、意図的に希少な才能の子供だと作り上げている。
それは俗人の概念に沿って作り上げられたもののため、何もかも俗人の概念に沿う、例えば、どのような能力を持っているかも、活躍する領域の定め方も、どのような成果物を出すのかも。

それと、能動的である。
何せ、天性の才能が有るかどうか関係無しに、周囲が能動的に作り上げ、応じる子供も能動的にアピールし、それで成果を上げてこそ天才と標榜するのだから。
だからギフテッドと能動型を同一視するのは妥当である。
それに伴い、世の中で成果を誇示して目立っている自称天才の俗物どもをギフテッドというのも妥当である。皮肉を込めて。


だがしかし天才は該当しない。
天であり、神ではない。
それは世界の法則であり、主に遺伝子の突然変異の法則。
それによって大量に生成される異常な個体のうち、特殊さが甚だしいものの、まともに生きていられる機能は保ち、常人が出来ない様相を為すことが出来る者が天才となる。
どのような異常が生成されるかはランダムであるし、人間の概念に囚われないため、人間の概念から外れたものも生成されるというか、よほど運良く「俗人たちの型」に類似しない限りは俗人の概念から大きく外れる。
そういうのが天才だ。

そこには人間の概念に沿った目的なんぞ無い。ジャンル分け基準もだ、能力の癖もだ、成果物の種類もだ。
そもそも宇宙の法則に目的なんぞ関係無い。

それと、世界の法則から与えられると言うことは、当人の意思に関係無く作用してしまうことでもある。
そのため、当人が何かを意図とするまでも無く常日頃から異常さを放ち続けるし、それは特定のジャンルや集団や状況に限られる全面的にだ。
また、無意識的にだ。


本物を活かす方法

この記事を書いた主な目的は、俗人達に受動型の事情を伝えることにより、受動型を活かせる確率を増やすことだ。
まぁ、他責的な言い方だが、世間が本物の天才を活かせない原因は、俗人が本物を理解出来ず適切な対応も出来ていないからだ。
ならば説明すればいい。


まず第一に庇護。
その組織や集団に妬み僻みしやすい人が多そうなら、まともに同居させたら対処しきれない。
それと、その中の最上位の人ほど深刻な迫害行為者になり得る………何せ、仮に受動型と言う本物が存在しなければ彼が最上位のはずで、凄く邪魔な存在だから。
庇護において、活動する環境以外も踏まえること……当人が関わる人全般が迫害者であり得る。


欲望やコンプレックスを元にして努力することは期待しないこと。
何かの報酬をダシにし努力を煽っても見透かされるだけだ。
それよりも、努力自体が楽しいことを重視すべき。


型に嵌めることは弱腰ながらも目指す。
受動型の才能は遺伝子の突然変異そのものなだけに、俗人の型からかけ離れたもののため、無用に嵌めようとすると彼の意欲を損なう。
かと言って、自由にし過ぎると成果の効率が悪過ぎる。
そのため、上手く通る機会が有らば型に嵌める位が妥当。


失言対策も。
そもそも成果のために空気を読む意欲自体が無い。
成果のために媚びたり忖度する気も無い。

だから、当該ジャンルの界隈に反感を買うようなことでも言いやすい。


親密さを得たと思うな。
受動型は考え方も特徴も境遇も俗人とかけ離れており、例え表向きは仲良くても、心の内では同志だと思いやしない。
どれだけ活動を共にしても、利害を共にしても、それで親密さを過信しないこと。


使命や意義を説いて受ける確率は低い。
熱心に言うと避けられる元、さりげなく言及してみて反応を伺う程度にすべき。
まぁ、彼自身に何か世の中で達成したい事が有るのならば、その部分でだけ成功するだろうが。
要するに

受動型は突然変異という「天」の生成物のため、「神」の使命に応じる筋合いは無い。

まぁ、使命に応じて欲しいならギフテッド当てにすればいい……あれは「神」による生成物だから。 


あとがき 俗世に馴染む方が重要

まぁ、たしかに、積極型(笑)やギフテッド(笑)の思考回路は俗人と同じだが………だからこそ実際に成果を出しやすい。
逆も然り。
何せ、世の中は俗人が築き上げた社会システムによって成果を上げるものだから、それに馴染むことの方が理屈上の優秀さよりも重要だからだ。
絶対的に。


典型例はネットスラングの「時代が追い付いた」。
それを創造した人は創造した時点で受け入れられたのか………全く受け入れられなかったこそ言われるのだ。
それどころではなく、その中の極僅かな割合だけが「時代が追い付いた」だけで、実際には時代が全然寄って来ないままが殆どだ。
それが受動型の現実だ、理屈上は崇高でも社会に馴染まなければ結局駄目だ。


さて……筆者は仕事柄、プログラミングの改修や新規画面等も時折携わるが、極力既存の似た機能や画面を真似るようにしている。
理屈上は筆者の方が優秀だと思う。
それどころか、真似る中の一部はお世辞にも上手くない。
それでも真似る。
何せ、仕事上のプログラムの殆どは(凄く小規模でもない限り)、多くの俗人が協力して築き上げるものだから、それに馴染まなければならぬからだ。
筆者の考えで創造するものは他人が見た際に不可解に思われる確率が少なからずで、そのため、レビューが通らなかったり、後に修正の指示が来たりして、結局は効率が悪いからだ。
ならば社会に馴染もう。
それで金を稼いで老後の貯金を多くすれば、老後に「自分のコード」を書く時間を増やせる。
筆者のコードは筆者のパソコンの中だけにして死ぬ間際に消してしまえ……それが駄目だと言うのなら俗世が筆者に馴染め。


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