相互極性化理論(新型コロナウイルス・2009年インフルエンザ関連)


■相互極性化とは

要するに、集団極性化の集団間バージョンということ。 ※集団極性化が分からない人は調べておいて。
その現象が、コロナや2009年の件が大きな社会現象となった分かれ目である。 ※2009年5月にそれを語った記事を書いた。

集団極性化との違いは、集団内での極性化を超え、市民集団同士や政府やマスコミ等の異なる集団同士で極性化し合うということだ。

それにより更に極性化し、さらに種類の変化も有り、それは『社会全体に認められると思えなければ決断できない行動』も行うことだ。
例えば、
・咳き込んだ業者を出禁にする決断は、それが法律に反せず、他企業全般から納得されると思えるからこそだ。
・社員の私生活まで踏み込こむ決断は、それが社会通念的に認められると思うからこそだ。
・営業停止やテレワーク等の業績に大きな痛手な決断は、それが正当な対策と認められて信用不安にはならないと思うからだ。
こういう行動を『社会承認前提行動』と名付けておく。

逆を言えば、集団極性化だけで止まる場合、その自信が強くないため、多くの場合は社会承認前提行動は行わない。
仮に踏み込んだ場合でも、同調よりも否定の方が強い場合は、その現実を突き付けられることにより頓挫する。

しかしながら、同調の方が否定よりも強くなると、相互極性化は止まらず、前述のようになる。
それが分かれ目だ。コロナや2009年の件と、(実際にはコロナと同レベルの)例年通りの酷い病原菌との分かれ目だ。

それと、コロナと2009年の件との最も大きな違いに、ネットコミュニティという相互極性化激化要因の普及率や利用頻度の激増が有る。

それらは、 大衆毎の内集団内の交流を高速かつ多量にするだけでなく、多種多様な内集団同士でも、それらと法人や政府との間でも同様にする。
そのため、とある日の夕方にマスコミどもが扇動した内容が、次の日の朝には一定範囲の相互極性化まで伴って言動に移される。
そういう道具を愚民どもに持たせたらどうなるか、その答えがコロナだ。


■図と解説


●基点となるのはマスコミによる誤認扇動だが、常にそうであるため、分かれ目ではない。

それと、これが発生する根本的な原因は(図の左端の筒状と、その右の数個参照)愚民どもが真に受けることによって
マスコミの扇動意欲や扇動的なノウハウが豊富になることだから、根本的な起点は愚民の方にある。
※マスコミがゴミばかりな原因は、愚民どもがそのように適者生存させたことだ。

●次に、強力な煽りネタ。これは大きな要因であるのは確かだ。
しかしながら、(図を見てわかるように)具現化するまでの何段階も前のことのため直接的には程遠いと共に、
これから具現化に至るまでの何段階により最終結果は大きく変わる。

●迎合政治は、たしかに分かれ目の1つだが最大ではない。
※実際、2009年の麻生政権の場合、この箇所により軽減させたものの、それでも強めに発生している。

たしかに、政治家による行動も具現化のうちであるとともに、相互極性化の一因だが、
しかしながら、政治家の行動の大元は愚民どもの扇動的判断だから、そちらの方が強い。
まぁ、そうは言っても少なからず差が付く要因なので、後で言及する。

●集団極性化は、経路としては重要だが、それだけの場合大した実害に至らない為、分かれ目でない。
それだけの場合は社会承認前提行動に至らず、過激にはならない。

●分かれ目として肝心なのは、図の上のほうの紫色のような、否定や抑制の強さである。
同調よりも強ければ相互極性化は抑えられる反面、
同調の方が強すぎる場合、所詮は大衆なんて多数派に逆らいにくいため、否定は弱いどころか消えていってしまう。


■政府の対応について。

相互極性化の流れを断てるかどうかには政府が大きく絡む。
要するに、当時の首相が、否定すべきことを否定できる男なのか、迎合するだけの奴かの差だ。
それにより、それなりに冷やせる政府と、余計に煽る政府との差が出た。
安倍のように流れに乗れば余計に酷くなる。

で、政府が流れを断つ方法だが、 肝心なのは、大衆に対し、同調圧力を否定するだけの力を与えることである。要するに権威だ。
(逆を言えば、理屈だけでは、大衆は理屈で分かったとしても、言動に移す強さを持ちにくい)
理屈の量はさほど必要ではない、実際、2009年の麻生政権での理屈の量は多くなく、例えば、弱毒性と言ったり、
「患者が少数で感染拡大防止に努めるべき地域」という言い回しを使う位。それで足りていた。
で、政府は、己の権威を借りさせれば足りる、実際、麻生氏がいつもの訛り声で(こういう平常さが肝心)否定すれば、

一般大衆は、その権威を借りて『与党の自民党が〜〜〜だから〜〜〜』と同調圧力を否定できる。

尚、上記は逆の言い方も出来、権威を示せる言動をしない、例えば、曖昧な物言いとか、あからさまに書類を読む等では効果は薄い。
実際、2020年5月の安倍がその通りと言うか、怪しい専門家会議の言いなりのままでは権威が無いため、
解除宣言を読み上げたところで、大衆は【コロナ脳】という集団心理を解除させれない。
もっと酷いのは小池東京都知事、少数の感染者数を一々深刻そうに言うならば、権威が無いどころか逆側に権威を与え、逆の流れになる。

重ねて言うが、肝心なのは、大衆が同調圧力を否定するための権威を借りれることだ。理屈ではない。


■集団極性化から相互極性化までの程度の分類
その程度においては以下のように分類できる。

1.最も逆な例から言うと、集団極性化すらない場合、例えば、マスコミの誤認扇動が各個人の判断でとどまる場合。
この場合、他の人が同調する自信が強くなっていないため、本人だけに関わる物事に対して煽られた行動をとるのみ。


2. 次に逆な例を言うと、集団極性化しやすい少数が集団極性化するパターン。

例えば、一部の頭の緩い女どもは頭が悪くて煽られやすいだけでなく同調を求めるのが好きとか、
一部の性悪な老害どもは凝り固まった思考の正当化を周りに求めるとか。
こう言う奴らは同類で集団極性化しやすい。

そう言う奴らは、彼ら同士で集団極性化することにより、企業や公的機関に噛み付く位の信念を持ち、
そして実行に至るが、威力が低いため、ほぼ大した対応されない。

この時点では社会承認前提行動はほぼ出ない、相手に承認される予感が薄いため、立場が優位でない者には控えるため。
ただし、立場の弱い者だけの場を選り好んだものは有る。


3.次は3番目に逆の例 (2番目に強い例)

集団極性化が多発し、また、一定の相互極性化が出てくるパターン。

例えば、女性差別においての、誤認扇動とか政府対応不足の印象操作のような、一部の腐れマンコどもにとって信じたい内容のもの。
女性プロ市民どもが集団極性化したり、同類の女友達同士で集団極性化したりし、
そして、彼ら同士で相互極性化し、結果的に、上記2.よりずっと大きい規模および信念の強さとなり、
相応の規模のデモとか、相応の規模やキツさでの企業や政府への噛み付き等の実行に至る。
そして短期的に成果が上がることも有る。

しかしながら持続しにくい。
何故なら、相互極性化というものは、自分の内集団以外での同調を確認することによって、

世間一般でも受け入れられるはずだという信念を生み、その信念も極性化する。
そして、その信念を踏まえた行動、つまり、幅広く世間に干渉する。
しかしながら、 同調より否定の方が強いと、 『自分達の信念』と『世間の反応』の相反を突きつけられ、
それによる自我の崩壊を避けるために対外行動から目を反らす。

また、内輪での活動も、上記の結末による閉塞感により、期間未定で沈静化する。
※状況により早々に再発したり、逆に半永久的に保留したりする。


そして最後、2009年インフルエンザや2019年度版コロナ等のように、
自分達の考えが世間一般でも受け入れられるはずだという信念に対し、否定よりも同調が上回るパターン。

そして、以下の状況になる。

○大多数が自信を持ちすぎるせいで、反対意見を言える雰囲気は程遠くなるので暴走が止まらない。

○相互極性化が繰り返されるにつれて益々過激になる。

○(当時の政府主導者次第だが)否定行動が出にくいため、止まる切欠が出にくく、そのため長期化しやすい。

○マスコミや欲求(自己顕示欲や承認欲や売名)を満たしたい者には格好のため、率先して煽るものも豊富になる。
壁|・A・) 猫も杓子もコロナの話題で、『お前ら日頃どれだけ社会や病理の話してんだよ』って感じのごみが大量に沸くよな。

○勢いが大きすぎるせいで、政策や企業にて具現化される。

○間違った思考はいずれ否定しようもない形で露呈するが(病原菌の場合は、軽度の被害での収束)
その頃には殆どの人が『その現実』を意識しようとせず、他のネタに興味を背けることによって『その現実』を黙殺する。
また、黙殺する力も強いというか、人数比の圧倒的さや拒否反応の強さなりに黙殺力も強いため、

2009年のインフルの際には『その現実』から目を背けさせずに追及する動きは不発となった。
そして、仮に学習しないままなら繰り返す。
壁|・A・) 今回の間隔そのままで考えると、次回は2030年頃か。


■媒体に関する事情について。

マスコミ・政府以外の集団に関して、何も書かないのも説明不足なので、分類と見解くらい書いておく。
※2009年と2020年を比較したもの。


【1】旧来型マスメディア
  俗に言うマスコミ。たしかに大きな悪性だが、昔も今も変わらないため、詳しい説明は必要はない。


【2】中小規模分散系マスメディア

最近だと多くはネットで(雑誌もそこそこ有る)、マスコミよりずっと小さく、多くは扱う分野が限られ、マスメディアという立場で活動するもの。
俗に言う企業系ポータルサイトや、ニュースサイトや、メディア発信を主題にしたYoutuberやTwitter等。
※YouyubeやTwitter等の雑居的サイトは、その点の線引きが無いため、【2】【3】の境界があいまい。

あくまでも本人たちの基準ながらも、情報の質に対する自負が有るので、自負すら無い【3】や【4】よりまずっとマシ。
一つ当たりの悪性さは【3】【4】よりずっと低いものの、閲覧量や更新頻度が高いため、少しは相互極性化要因になる。

2009年頃は、これを多用するのはネットに先進的な一部だけだったが、国民全般がネットで暇つぶしする時代のため、影響力が向上。


【3】準マスメディア

実質的有る程度はマスコミコミュニケーションを伴うもの。

娯楽や雑談や創作等の『ニュース発信』でないものを主要としつつも、機会が有れば行うもの。
規模は、広義には10数人以上とする。大抵は100人も行かないが、数千人以上集めるものも有る。

大きな社会現象が発生した際には我も我もと群がるため、こういう状況では彼らもマスメディアとなる。
そもそも質に対する自負が無く、元から当該分野を専門としない者がその場その場で口を出す程度のため、質は大幅に欠ける。

彼らは、相互極性化において大きな要因となる。
言いたい意見を言うよりも同調したり、知識も考察も乏しいまま無暗に口に出すため、間違いを正すどころか激化しやすい連中だ。

これの変化が、2009年のとコロナとの大きな違い、(【2】は昔からそこそこ豊富だったのに比べて)急成長したため、相応に違いが大きい。


【4】個人的集団

昔で言えば、当時はネットのツールを駆使するグループが多くなかった都合上、電話やメールを中心に遣り取りしていた個人間交流集合体。

最近は、ネットツールが普及したおかげで、高い交流頻度や、(LINE等の軽く広い付き合いを行いやすいツールにより)幅広さが向上した。
それは裏を返せば誤認扇動の速さや影響範囲も広がるということだ。

質のピンキリ具合は最悪で、たとえ知性が低くても妄想癖でも誇大癖でも、 部外者から殆ど見られない都合上、その素性のままに行える。

特に、速さに関しては、もの凄くたちが悪い。
逆の例を言うと、他のスピードは発信頻度に制限されるし、昔の【4】は個人毎伝達による遅れが有ったが、
最近の【4】は直ぐに内集団全般に行き渡り、それに対してコメントを返しあうのも相応のスピードだ。
しかも、LINE等により付近の内集団にも同等のスピードで行き渡ってしまう。
それは、付近の内集団まで相互極性化する速さがずっと速くなったということだ。そのため、
とある日の夕方にマスコミどもが扇動した内容が、次の日の朝には一定範囲の相互極性化まで伴って言動に移される。


全体をおさらいすると、主にネットツールの向上や普及により、相互極性化の拡散しやすさや速さが物凄く上がったということ。


■どうすればいい?

過去から学ばないから繰り返す、それならば、学ばせて、次回発生しそうなときに思い出せればいい。
コロナ騒動が終わったすぐ後に、この記事の図でも見せて、自分達はこういう状況だったと気付かせればいい。
そして、次回発生したときに思い出させればいい。


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