(自分語りと社会科学)母親の死に際と、筆者に願ったこと。
母親は敢えて死ぬことを選んだ
当時は母親と筆者の2人暮らしで、夜中に死んでいて、筆者が朝起きた時に気付いた。
その時の状況や、直前の動向や、日頃の台詞からして、わざと助けを呼ばずに死ぬことを選んだと断定出来た。
日頃からボケや入院で子供に負担になることを嫌がっていた。
死ぬときは一気に死にたいと言うのが口癖になっていた。
一時期、数か月間リハビリ施設に入院していたが、貯金を使い過ぎて子供に残す金が無くなるのを嫌がっていたし、筆者が着替えや日用品の交換に行くたびに子供の負担を嫌がっていた。
死ぬ2年位年前からは前は凄く弱って買物に行けず、買物が全て筆者になる負担を嫌がっていたし、薬代や治療費で貯金が減るのも嫌がっていた。
リハビリや老人ホームに入れるなと言っていた。
死ぬ数日前も妙だった。
母親は日頃から「それなりに幸せに生きて、出来るだけ長く」と筆者に願っていて、それ自体は筆者が社会人になって頃からだったので珍しくはないのだが、妙に頻度が増えた。
その時以外でも調子が悪い時ほどこの願いを多く言い、まさにそのパターンだった。
前日に仕込んだ飯の量が異常だった、鍋一杯のカレーとサバの煮つけが両方仕込まれていた。
普段は両方同時に完成していることは無かった、2人暮らしで筆者も母親も多く食べないので。
さらに……我が家でカレーを作る際は一気に2食×2人分作り、その半分は味付けしずにしておいてカレーを食べた後に「カレーうどん」に味付けするのだが、その時だけは「カレーうどん用」が既に味付けされていた。
いつ味付けしたのか???夜中???死を悟った時???
死亡原因からして救急車を呼べたはずだ。
脳内出血で、昔にも脳内出血で入院したり凄く調子を崩したりしたことが幾度か有ったが、急に救急車呼べない状態にはならず、酷い頭痛や立ち眩みが長く続くそうで、その時に救急車を呼ぶ判断が十分に出来ていた。
死んだ日も原因からして同様だっただろう。
それと、息子=筆者の部屋と母親が死んだ場所は10歩以内のため、息子を呼ぶの可能だった。
(その頃は居間のベッド兼ソファーで寝る習慣だったが)ベッドの頭の方で片足が床でうつ伏せ気味になっていた。
つまり死ぬ直前は動ける状態だった、最低限、死に物狂いで息子の部屋まで移動する位には。
と言うか直前に何をしていたのか?料理も妙だったし。
死んだ時はスマホを握りしめていた。電話すべきか迷っていたのだろう。だが、かけずに死ぬ方を選んだ。
敢えて死ぬことを選んだ理由と願い
母親の子供は筆者と姉だけで、姉は既に家を出て母親の世話は殆ど筆者だけだったので、母親が負担を気にする相手は筆者だけだった。
それと、姉の家族一家は特に問題なく順調な生活だったので、負担以外全般も気にする相手は筆者だけだった。
そのため理由は筆者だけだ。
昔から時々筆者に願っていた「それなりに幸せに生きて、出来るだけ長く」だ。
わざと死んでまで、そこまで願うのか。
まぁ、感情が異常な筆者には感情的には理解出来ぬが、母親の子供に対する心理や言動の一般論は理解している。
ならば、その願いを受け止めよう。
と言うか、筆者自身もそういう人生が良いと思うように育ってしまった。
母親の教育方針が成功したのか、筆者は凄く平凡な性格や欲望に育った。
趣味もオフラインゲームやパン屋の新商品のような平凡な物ばかりであるし、自己顕示欲や性欲や自己実現等への大きな欲望も無い。
そのため、大きな幸福を狙うよりも、楽に長く幸福で居られる方が良い、そういう人格に育った。
母親の思うつぼだと思いつつも、まぁ筆者自身もそう思っているから、まぁいいかと思った。
まぁ、釈然としない事も有るのだが。
(詳細は別記事で書くが)母親は筆者が腹から出た瞬間から死ぬ時までのずっと、本来の筆者を受け止めとしず、終始普通に育つことを願い続け実行し続けた。
凄く神経質に、凄く努力して、凄く深刻な形相で。
そして、結局、全く本来の筆者を受け止めないまま死んだ。
釈然としない。
だがしかし、筆者自身、「本当の自分」によって叶えたい事が特に思い当たらない。
むしろ、本当の自分においては、深刻な程度の畏怖、奇異の目、迫害、疎外を暗いものだったので、それで何か叶えたいどころか、避けたい方だった。
と言うわけで、釈然としないながらも、残りの人生は母親の願い通りのを目指すことになった。
それなりに幸せな人生で出来るだけ長生きすること。