そろそろ死ねば?

―――高額医療に関するタブーに触れてみる――― 


2005年頃に書いた記事です。
この項と後書き以外は当時の文章のままです。

17年ぶりに復帰させた事情の1つは、高額医療負担制度廃止案です。
これへの反対は大きいようですが、反対者達はあるタブーを黙殺しているので、それを突き付けてやろうと。

もう1つは、そのタブーの加速度的な悪化は冗談抜きで世界を崩壊させるので、今こそ対処すべきということです。
それは後書きにて。


■前書き

近年、医療・介護に関する技術は飛躍的に高まり、その結果、今までなら死なざるを得なかった様々な病気にかかっても人々は生き長らえれるようになりました。
そう、金さえかければ。
しかし、世の中、高額医療技術は発展すれど金が無尽蔵にあるわけではないので、医療の金銭的問題に関して色々と矛盾が起きています。
しかし、それに触れることはタブー視されたままです。
その背景として、高額医療の矛盾を突くことは一部の宗教・思想団体や高額医療の当事者の逆鱗に触れかねないという現実が有ります。
高額医療の矛盾を突くということは、それを辞めろと云う論理的展開も十分に起こり得るわけで、それは「一部の高額医療を受けている人」に対して「貴方はそろそろ死ぬべきだ」と言うことにもなり得るわけです。
まぁ、いつまで経っても誰も触れないままでは世の中進歩しないので触れてみようかと。
タブー視されている所をまともに触れてみます。

■命の価値の差

まぁ、集票力と金で世の中が動くのが現実なのは分りますよ。
でもねぇ、日本においては「命の価値の平等性」という概念は乏しいようで。
莫大な金を使ってベッドの上で生き長らえ続けたり不自由な身の世話をしてもらったりする人が世の中には多いわけです。
医療費に年間数百万とか、施設の維持費に一人当り数百万とか使うようで。
その金は一体何処から出ているのやら。

その反面、発展途上国だけでなく日本においても、貧窮や虐待により生存の危機であったり心身に重大な後遺症を負ってしまっている子供達が多く居て、彼らは十分な福祉予算が与えられないために死んだりしているわけです。
一部の、莫大な福祉予算を享受している人達は彼らを救える金を何人分使っているのでしょうかねぇ?もうね、貴方の生活とは裏腹に餓死していく子供を見て罪悪感を感じないのかと。

やっぱ、こういうのは「自称弱者達の政治的結束」が背景なんですかねぇ。
政治力を持った「自称弱者」は、真の弱者である「声無き子供達」よりも遥かに命の価値が高いのが現実なんですねぇ。
それって、道理に反していると思うので、彼らに関して思うことがあるのです。「そろそろ死ねば」と。
強欲さも程々にして、そろそろ死ねば?
貴方、自分の存在自体が「命の価値の差に関する矛盾」であることは理解できますよね?
「真の弱者達」に充てられ得る福祉予算を取ってまで生き長らえたいのですか?そろそろ死ねば?
死ぬ間際くらいは道理にかなった事をしなさいよ。
そんなわけで、そろそろ死ねば?

■自業自得

まぁ、病気になった後に健康の価値に気付くのは分りますよ。
でもねぇ、日本には「健康に関しての自己責任」という概念が薄いようで。
自分か身内が重病にかかってから「左」に傾く人が世の中には多いわけです。
自分の不摂生を棚に置いて国が面倒見てくれるのが当然だと思い込むようで。
その金は一体何処から出ているのやら。

その反面、世の中には、病気にかからないように気を付けている人も多く、彼らは割に合わない医療保険を払わされているわけです。
一部の、日頃の不摂生が元で病院のお世話になることが多い人達は、健康に気を付けている人達の保険代の何割を自分のために使っているでしょうか?
もうね、貴方の不摂生の尻拭いを他の人にさせて罪悪感を感じないのかと。

やっぱ、国の医療政策が「国民に健康に関する自己責任を求めない方針」なのが背景なんですかねぇ。
日頃の健康管理に関係無く医療手当てを貰えるのなら、不摂生した後に「左」に傾いたもの勝ちなのが現実なんですねぇ。
それって、道理に反していると思うので、彼らに関して思うことがあるのです。「そろそろ死ねば」と。
厚かましさも程々にして、そろそろ死ねば?
貴方、自分の不摂生が原因で重病になったのだから自業自得でしょ。
それでも他人の金で生き長らえるのですか?そろそろ死ねば?
死ぬ間際くらいは道理にかなった事をしなさいよ。
そんなわけで、そろそろ死ねば?

■足ることを知らなさ過ぎ。

まぁ、何歳になっても出来るだけ長生きしたい気持ちは分りますよ。
でもねぇ、日本には、生存欲に関して「足ることを知る」という概念が乏しいようで。
何歳まで生きようが、高い生活レベルで生き続けようが、相変わらず生存欲を剥き出しにする人が世の中には多いわけです。
生きていりる限り、いくら金がかかるかを顧みず福祉予算を要求し続けるようで。
その金は一体何処から出ているのやら。

その反面、世の中には、家族の介護のために過労気味になっている人や、元本割れしそうな年金を払わされて続けている人が多く、彼らは一部の人の飽くなき生存欲のために人生を犠牲にされているわけです。
一部の、十二分な福祉を享受し続けれる人達は、若者達や中高年達の金や労力をどれだけ奪い続けているのでしょうか?
もうね、飽くなき生存欲のために他人を犠牲にして罪悪感を感じないのかと。

やっぱ、こういうのって「前近代的な年長者絶対主義」ってのが背景なんですかねぇ。
いくら金や労力が要るとしても、年寄りの命を見限る言動はタブーと化し、年寄りは思うが侭に福祉を要求出来るのが現実なんですねぇ。
それって、道理に反していると思うので、彼らに関して思うことがあるのです。「そろそろ死ねば」と。
往生際の悪さも程々にして、そろそろ死ねば?
貴方、既に十二分に長生きしてきましたよね?。
それでも他人に大きな負担を強いてまで生き長らえるのですが?そろそろ死ねば?
死ぬ間際くらいは道理にかなった事をしなさいよ。
そんなわけで、そろそろ死ねば?

■後書き。

このタブーは加速度的に悪化し、早く対処しなければ冗談抜きで世界を崩壊させるでしょう。
まぁ、いずれは人類は、仮に黙殺し続けようとしても逃げられなくなり、対処し始めるでしょうが、
遅ければ以下2つの事情で手遅れです。

理由の一つは金銭面です。
高額医療機器は加速度的に種類も性能も豊富になり、より多くの人達を救い続けていますが、
それに伴う金額も加速度的に増えていきます。
それは、他に使うべき金を食い潰していく速度も加速度的ということです。
スピードが上がるだけに、対処が少し遅れるだけでも深刻さは相当なものになります。

もう一つは政治面です。
加速度的な進化により、高額医療の亡者達(本人だけでなく、業界関係者等の利権者や、家族や知人も含む)も
加速度的に増大するわけで、彼らの政治的圧力も相応に増大し、対処困難になるでしょう。

そして、対処困難なまま、未来を食い潰され、崩壊するのです。

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