#誹謗中傷の事情と解決に関する考察

■目次:
前書き 現状の典型例
昔の対処方法と、今
先に解決策概要を挙げておく

「恐いと思う人こそが恐い」と、関連する心理学的事象
  ・恐怖への主観的客観視
  ・素性類推
反応する人こそが恐い
・コピペ用
・釣られる人こそが恐い。それを踏まえた対策を

・政府や運営の動向と、対案の必要性
  ・ツイッター社の例
  ・SNS運営企業の例
  ・政府の例
  ・対案の必要性について
対案を出す

・あとがき 警告した通りの現状


■前書き 現状の典型例

木村花さんが誹謗中傷で自殺した際に、ダルビッシュ有氏の対応方法が話題になったので、それと周りの反応を典型例にする。 

本人自身は、昔と似た対処方法の『誹謗中傷者をまともに相手しない方向性での対処』が出来ている。
例えば「匿名の方からの意見は自由ですが、相手にしませんのでご理解を。」とプロフィールで通告したり、
「おめでとうございます」等をランダムで返せば「相手は感触のないサンドバッグを殴り続けることになるのでいなくなりやすいです」等。

しかしながら、こういう方向性の対処は2ちゃんねる草創期に住民全般で実施されていたため、
仮に民衆の対処能力が当時より退化していなければ、この程度は有り触れたもので注目に値しないはずだが、反響を呼んでいる。
それと、【そのツイートへの返答】からも退化具合が伺え、(2020/06/01時点)
納得や感心のような『今までそういう知恵に乏しかった前提での返答』ばかりで、
他の案や昔の事等の『既にそういう知恵が十分である前提での返答』が全然無い。


もう1つ問題が有り、それは、誹謗中傷を目論む奴が大量に発生し続けるという『避けようのない現実』に対する意識の低さ。

例えで言うならば、海外の治安が悪い場所は強盗が多く居るのが『避けようのない現実』のため、本来なら
けっして強盗のせいにするだけにはせず、出来るだけ避けるとともに、行くにしても自己責任で対策すべきという意識を持つべきだが、
まるで頭の緩い旅行女子が相手国の実情を調べずに行くようなものだ。

典型例は、本人が有名人への誹謗中傷の例として挙げた画像【このリンク先の1】で、本人の意図とは別の意味で正しい。
本人の意図は虫の量の凄さだが、自ら大群に襲われやすい場所(=ツイッター)に行っていて、それが良くないとは思わない。
べつにダルビッシュ有氏だけが悪いわけではなく、民衆全般がそれを常識としているというか、
そのツイートへのコメントを見渡すと、そういう意識が見当たらない(2020/06/01時点)。 


しかしながら、 誹謗中傷に対する意識は2ちゃんねる草創期に住民全般で持たれていたため、
仮に民衆の意識が当時より退化していなければ、危機意識や危険性に言及するはずだが、そうではない。
つまり、意識の面でも退化している。


ネットコミュミティのイメージが2ちゃんねるのような恐そうなものから最近の小奇麗なものに変化したところで、

悪意は減るわけでもないのに参加者の対処能力や意識だけが減っている。


■昔の対処方法と、今

昔は、2ちゃんねるのような規制機能の乏しい環境でも、参加者全般による対処方法により、一部の例外を除き対処できていた。
※対処方法を倣わない奴が介入すれば対処できなくなる。

また、規制機能が足りているサイトが使われることも有ったため、それにより防げる場合も有った。


昔の対処方法とは、参加者全般で恐いと言わない・反応しないことを徹底することだ。

誹謗中傷の効果が発生する原因は要するに(詳細は後述)、例えば便所の落書き程度だと思う人には恐怖ではない反面、
『 皆が内容を信じるかも』や『仲の良い人からかも』等と思ってしまうと恐怖になるように、本人の主観的な判断により発生する。
つまり、【予言の自己成就】の一種というか、本来は虚像だが、効果を想像されることで実際に発生するものだ。
それと、誹謗中傷者の動機の続き具合は、誰かに相手にされるかどうか次第で大きく変わる。

こういう事情から、皆の対応次第で効果や動機は変わる。

皆が恐いと言わなければ誹謗中傷に効果は無く  ※昔の言葉の『便所の落書き』
皆が反応しなければ動機は続きにくい、       ※昔の言葉の『荒らしに反応する人も荒らし』

草創期の2ちゃんねるはそういう対応をされる傾向だったが、最近は逆で、
一々恐いと言うことにより誹謗中傷に効果を与え、一々反応することにより動機を維持させ、

それらを定着させることにより自殺に追い込むほどの威力を与えた。


規制機能とは例えば、『ユーザーが投稿しても、管理者が承認するまでは表示されない』で、
大手の場合(例:アイドルのファンサイト)管理者は本人ではなく運営会社のため、大手の場合は本人が目にすることすら無くなる。

ミクシィは、ある程度の機能が有るため、対処能力が低い奴的にはツイッターよりマシなはずだ。
例えば、日記の公開設定は、デフォルトにしておけば後から一括で「仲良しのみ」等に変更できたり、公開するものを選別できる等。
※まぁ、ミクシィは、メールアドレス検索によってリアル知人からバレかねない等の問題が有るが。

しかしながら、そういうサイトを選ぶ賢明さが無ければ意味無い。
今の時流は賢明さよりも安直さを優先するというか、オープンさによってアクセス数や交流量を効率よく稼ぐことばかり優先し、
オープンさの負の側面の『誹謗中傷者候補に対してもオープン』ということを気にしようとはしない。

しかも、ロクに対象方法が身に付いていないくせに。


こういう時流により、 たとえ本人が望まなくても、交流やアクセス量のために同調せざるを得ず、同じようにリスクを抱える羽目になる。
最近も木村花さんという若い女子プロレスラーが自殺に追い込まれたが、彼女はこういう時流の巻き添えを喰らったのだ。

民衆は、犯人やマスコミへの非難によって他人が悪いとだけ言いたいようだが、
前述のとおり、自殺に追い込むほどの威力を与えたのも、防げないサイトを選ぶ時流を作ったのも、日頃の民衆の行いであるため、

根本的には民衆の日頃の行いが木村花さんを殺したのだ。


■先に解決策概要を挙げておく

民衆の対処能力に関する啓蒙は行うに越したことはない。
  前述で触れたように、恐いと言うことにより効果を与え、反応することにより動機が続くため、
  それを防ぐために民衆を啓蒙する必要がある。

  啓蒙ならコストゼロでも可能で、法整備などのネックが出にくいため、行うに越したことは無い。
  運営が行う場合でも、広告機能を応用して啓蒙文を流す程度のコストでも可能のため、要求するに越したことはない。
  誰でも出来る、この記事のリンク、自分風の言い回しで言う、知人を諭す、イラストを描いて流す、等々。

●反応する人を全滅させるためには処分や制裁も併用しなければならない。
  啓蒙だけでは、重度な馬鹿が反応し続けることは防ぎきれない。
  そして、彼らによって誹謗中傷者の動機が続く場合も有るため、彼らを抑えるための処分が必要。

  即座にアカウント一定日数停止にすれば、起きている最中の誹謗中傷対策にもなる。
  ※処分だけで啓蒙が欠けると、処分すべき人数が多すぎて処分しきれないため、併用となる。

  政府や運営企業が応じない場合、民衆によって『荒らしに反応する荒らし』に制裁する必要が出てくる。

●処罰においては、少頻度多数の「釣られる人」まで逃さず及ぶようにする。
  ・誹謗中傷の威力が高くなる原因や、防ぎきれなくなる原因は、少数の起点者よりも、少頻度多数の釣られる人の積み重ね。
  ・起点になる程に重度な奴は減りようがない反面、釣られる奴は処分実績やその場の状況次第で変わる。

  ・こういう事情から、彼らにまで抑止力が及んでこそ効果が有る。
   その現実を踏まえ、書込1回でも処分対象にしたり、自動察知時に警告表示する等、釣られる人の抑止を重視すべき。

●政府や運営企業の裁量で対策させても、ロクな対策にはならない。
  運営企業の対策予定は断片的な機能であるため、隙を無くすには程遠く、
    しかも、断片的な機能1つのペースすら遅いため時期的にも当てにならない。

  自民が積極的なのは、基準の恣意性を10年以上黙殺したままでの罰則強化だけ。
   それによる恣意的な言論統制も問題の1つだが、
   それ以上に、この方法は被害が出た後に罰するだけで、被害を未然に防ぐわけではない。
   そして、罰則強化以外の対策を黙殺したうえで、何も出来なかった責任を左翼に転嫁するだけの見込み。

●政府や運営にまともな対策を行わせるためには、対案が重要となる。
  対案を出しておけば、政府や運営が恣意的な案を出してきても、その方法が対案より良いのかとか、
   対案の方も同時に進められるはずとか、問い詰められる。
  逆に、対案が無いままなら、政府や運営的には、自身に都合良い案のみを出して最善ということにすれば済む。

  また、対案が有ることにより、より良い案が無いという口実で先延ばしされるのを防げる。 
  逆に、対案が無いなら『前向きに検討』のような回答で時間稼ぎされかねない。


機能面での対処においては、誹謗中傷には経路が有るため(起点→釣られる人の追従→効果の発生や第三者の反応等)、
  経路図を作成し(その項に図が有る)、個々の経路毎に考えた方が判断しやすい。


機能面での対処においては、現実に合わせないことには対処できない為、以下例のように現実に合わせる。


被害者が駄目過ぎる場合:
被害者の一部は自発的に通報等を行うだけの主体性が無く、能力も当てにならないため、
その現実に合わせる方法と言うか、第三者にて察知、案内、策定、実施する方法を用意する。
例えば、 誹謗中傷の自動判定または第三者の通報により察知し、相談申請するためのボタンや運営からのメールで案内し、
運営側が予め策定しておいた規制設定変更セットを実施する。


■「恐いと言う人こそが恐い」と、関連する心理学的事象

前々項で触れたように、誹謗中傷の効果は参加者全般が恐いと見なすかどうか次第だが、
それには2つの心理学事象が絡んでいため、まずはそれらの概要を書く。


誹謗中傷に効果を与えてしまう原因の1つに、本来なら仮に恐怖を感じるにしても(怪談のように)主観的な恐怖と見なすべきものを
(地球が滅亡する位の隕石のように)客観的に感じてしまうことが有る。
このような現象を【恐怖への主観的客観視】と名付ける。
定義すると『本来なら主観的な恐怖だと判断すべきことを、客観的な恐怖であると主観的に判断すること』

誹謗中傷の恐怖は、例えば便所の落書き程度だと思う人には恐怖ではない反面、
『 皆が内容を信じるかも』や『仲の良い人からかも』等と思ってしまうと恐怖になるように、本人の主観的な判断により発生する。
つまり、予言の自己成就の一種とも言え、本来は虚像だが、効果を想像されることで実際に発生するものだ。

そのため、自身や周りが客観的に恐怖しない場合、誰にもその書込による影響が発生しないため、効果にならない。

しかし現実には、誹謗中傷に恐怖する人は、自身が恐怖するだけでなく周りも同様だと思う、つまり客観的な恐怖だと見なす。
そして、皆がそう思うことにより、誹謗の影響を認め合い、中傷による精神的苦痛も認め合う。
これが誹謗中傷に効果を与える原因だ。

勿論、誹謗中傷に効果を与えたのは当人達自身だが。 


じゃあ何故効果を与えてしまうのか?
その原因は要するに、書込者の素性の類推や、書込の価値の類推が出来ていないために、素性や書込を漠然と過大視することだ。

仮に類推出来ていれば、書込者の素性は気にする価値のない程度と類推し、書込の価値も無いと類推するはずだが、
出来ていなければ、相手の素性の判断はデフォルト設定、つまり、漠然とした一般的な人物像になるため、
相手の素性を気にする価値の有る相手だと漠然と解釈し、書込の価値も有ると漠然と解釈する。

このように、書込内容から相手の素性や書込の価値を類推することを【素性類推】と名付ける。


流れを書くと、

誹謗中傷発生→素性類推出来ていない→恐怖への主観的客観視

→価値を認めてしまう→周りの傾向がそれ→効果を与えてしまう

詳細を次の2項にて書く。上記だけで理解できた人は飛ばせばいい。


■恐怖への主観的客観視

誹謗中傷の恐怖を理解するためには、『怖い』と『恐い』の違いも理解したほうがいい。
両者の読みが同じため、区別するために【おじげ】と【おそれ】と表記する。

両者の違いは定義されていて、【おじげ】は主観的、【おそれ】は客観的とのことだが、その定義は雑過ぎる。
例えば【「恐い 怖い」でググったものの最上位】には例も出ていいて、
『過去の恐ろしい出来事や事件を振り返るなど、客観的に判断できるコワサ。それが「恐さ」の定義です』と書かれている。
しかしながら、過去の出来事や事件は誰にでも恐怖とは限らず、他人事と思う人や、それを恐怖にしない程の肝っ玉が有る人や、
回避する賢さに自信のある人には恐怖ではないように、各人の主観次第のため、
この場合に恐怖する人は実際には【おじげ】であるものを客観的なものと解釈しているのだ。

このように、【おそれ】とされるもの多くは、本当に【おそれ】ではなく、本人の主観により【おそれ】だと判断したものだ。


【おそれ】と見なしても良い恐怖も少しは有る。

例えば、地球が滅亡するくらいの隕石が実際に落ちてきている最中だとしよう。
この場合でも厳密には主観的な恐怖というか、自殺したくても勇気の無い人には都合が良く、
人生に希望が全く無くてどうでもいい人には気にする程恐怖ではなく、
その人数に関しては、日本の自殺者が年2〜3.5万人ということからして、希望者や同感者を含めて無視できない数だろう。

※こういう事情から、厳密な基準では【おそれ】にして良いものは全く存在しない。

そうは言っても、彼らの考えは道理的に負かせられるし、 また、論理的にも負かせられるというか、
大きな隕石落ちても大丈夫論は論理的に負かされるので、【おそれ】でも支障無い。

こういう事情から、【おそれ】にして良い場合とは、道理や論理等により、社会全般において【おそれ】扱いで支障ない場合である。
逆に、支障をきたす存在が居る場合は、彼らにより通用しなくなる。
※この事情を応用すると、狭義には、一部の集団や価値観の間に限り支障無い場合は、その範囲のみの【おそれ】。


【おじげ】と【おそれ】のどちらだと判断するかは、本人の環境や視野が絡む。

例えば前述の『過去の恐ろしい出来事や事件』の場合、それに対して恐い恐い言う人ばかりの環境で、
本人の視野が狭くて世間全般を眺めないのなら、 本人の判断材料は【おそれ】と見なして良いものばかりのため、【おそれ】と見なす。

逆も然りで、恐怖ではない派も少なからず混じる環境や、様々な人の考えを眺め回す視野なら、
本人の判断材料には【おそれ】と見なせないものが混じり、【おじげ】となる。


【おそれ】と【おそれ】との分かれ目の 典型例は、2020年新型コロナウィルスと、流行る去年(2019)のインフルエンザの違い。

去年インフルの場合、実際には(ワクチン等の対策が出来ていても)3325人死んだものの、
世間一般で恐れられていないのが現実だったため、つまり、恐怖する人でも通常は【おじげ】と見なす。
感染症で死にやすい老人だって、たとえ自身には恐怖でも、独善的でなければ、一般的には恐怖しない現実を受け入れるため。

逆に、コロナの場合、恐いと言う人はほぼ例外無く、マスコミの扇動や『迎合政治がお墨付きを与えたこと』や集団極性化等により、
周りも恐怖して当然と見なしているため、【おそれ】と見なす。
しかしそれは間違いで、一次データや学術的知識で判断している人にはそう思わない人も居がちで、
彼らは蓄えた知識によって道理的・論理的な反論をしきれるからだ。

しかしながら、その判断は各自の環境や視野により行われるため、コロナ脳の人達のように、
耳を貸す相手が同種ばかりな環境で、一次データや学術が視野に無ければ、それらは判断材料に含まれない。

誹謗中傷の恐怖も、こういう違いのようなもの。正しくはインフル相当だが、コロナ相当なのが現実。
最近の民衆のように恐い恐い言うている人は、同種ばかりの環境と、学ばない程度の視野のため、【おそれ】だ。


その他の例:

幽霊の場合、恐怖する人でも原則的には『恐怖しない人も多いこと』を踏まえるため、原則的には【おじげ】だ。
とは言っても例外も居て、頭が緩すぎる女は自他の解釈の違いを考えないというか、
『ワタシが恐いと思うのだから恐いの』という考えのため、【おそれ】だ。
この場合は【おじげ】が正しいとされ、要は、人並に賢ければ『恐怖しない人も多いこと』を察するし、
論理的にも負かせられない(信じなければ恐くない、幽霊の存在への反論)ため。

本人自身が恐怖しない例も出す。
たとえ凄く強面な人でも、その人が日頃から親切にしてもらっているオジサンだったら、親切にしてもらっている人的には恐くないかも。
しかしながら、世間一般的には恐怖される現実を受け入れるため、当人的には恐くなくても原則【おそれ】と見なす。
また、【おじげ】だと主張したところで、それが通用する環境は限られるため(そういう人相が普通な環境のみ)、原則通用しない。


おさらい:
注目すべきは、本来なら客観的恐怖とは見なすべきでない物事なのに、主観的な判断により客観的と見てしまうケースだ。
恐怖への主観的客観視。

じゃあ何故、客観的だと思ってしまうのか、それには『素性類推』と名付けるべき事象が絡んでいる。と言うことで次項へ。


■素性類推

例えばネット上で身近な人絡みの誹謗中傷が書かれていた場合、人並に賢い人ならば、まずは書込内容を吟味するというか、
誹謗が事実か?中傷か正当な非難か?等を考え、怪しいと思う場合には書込者の素性や心理を推測し、書込の価値の類推に至る。
また、人並に賢い人ならば、日頃から類推用の知恵を持っていて、例えば、
世の中にどのような人が居て、各々はどのような素性や心理で、各々の気にする価値はどれほどか等だ。

で、書込を見た際にも、そういう知恵を活かす。
例えば、書込内容が同僚のヒステリーババアの嚙み付きのようなものなら、(賢さ次第だが)内容をそのようなものだと判定し、
その判定を元に素性や気にする価値まで類推し、例えば、
『どうせ、いつも聞こえるように喚いているヒステリーババアか、そうでなくても同レベルの価値の奴だろう。どうでもいい』と。
要は、 書込者の素性は『気にする価値のない奴』を類推し、動機も同様に類推し、気にする価値も同様だ。
そのため、真実性も影響力も見出さず、気にする価値も見出さない。
こういうのが素性類推だ。

定義は以下
各情報の価値判断の際、各情報の吟味結果や、日頃から蓄積している各人物種の素性や価値の見識を活かし、
それを元に真実性や素性や動機等の要素を類推し、気にする価値の類推に至ること。

素性類推は賢さ次第のため、吟味能力に乏しい奴や、人の素性や心理への知見が乏しい奴ほど出来にくい。

素性類推が出来ていない場合、類推内容はデフォルト設定、
つまり、一般的な人物像を中心にした曖昧なもの。

そのため、内容を問わず漠然と価値を見出してしまう。
これが根本的な原因だ。


こういう件は不特定多数に対しても同様。こういう件は不特定多数に対しても同様。
昔はネットの誹謗中傷に対しては『便所の落書き』と見なされたが、それは、そういうのを書く程度だという素性類推だ。
勿論、恐れる程の相手とは見なしていない。
逆も然りで、今の民衆のように類推しない場合にはデフォルト設定である。

そして、私怨や妬みよる誹謗中傷を見た際には、漠然と平均的人物像な人が書いたもののように感じる。


国家全体レベルへの政治家への誹謗中傷に対しても同様。
右翼左翼フェミのキチガイどもが日頃言っているような書込に対しては、仮に素性類推出来ていれば、
いつものキチガイの戯言だから読む価値すら無いと見なすはずだが。


で、主題の「恐いと言う人こそが恐い」に移る。

仮に誹謗中傷が沸いたとしても、参加者全般に素性類推が根付いていれば、
恐怖への主観的客観視によって恐さが見いだされることは無く、誹謗中傷は虚像のままとなる。
で、皆がそのように考えたり言動するならば、書込対象者の評価に影響しず、(意識する気にならないため)精神的苦痛も発生し
にくい。
そして、そういう状況が続く間にも、誹謗中傷側には法的リスクが増す、つまり損だけ増していく。
(身近な人同士の場合、現実世界での反撃リスクも増していく)


逆も然りだ。
素性類推が出来ていなければ、【恐怖への主観的客観視】が発生し、本来虚像のはずのも価値を与える。
周りの傾向がそれならば、予言の自己成就と言うか、周りが否定しないために
本人の評価に影響し
周りが共感するために精神的苦痛を感じやすくなる。
勿論、その誹謗中傷に効果を与えたのは当人達自身であるのだが。

結局、恐いと言う人こそが恐いのである。


■反応する人こそが恐い

要するに、 誹謗中傷に反応する奴がいると、相手にとってはコミュニケーションが動機になり、逆も然りだ。
典型例は『荒らしに反応する人も荒らし』という格言、逸脱者防止のためによく書かれた。
反応しないことが維持されていれば、動機が尽きやすいだけでなく、その間に法的リスクが増えるため、終わりやすい。

しかしながら、このような方法は参加者全体の賢さに依存する。
2ちゃんねる草創期の住人は概ね賢かったため、大半の人がこれを行うと共に、
一部の逸脱者も(人数比で圧倒しているために)抑えられるため、この方法は可能であった。

今は出来ない奴が多数派のため、極一部の賢い人が諭しても全然効果が無い。
そして、誹謗中傷が出てた際には、正義の振りをする逆効果な奴らが沸き、誹謗中傷者に動機を与え続ける。

結局、反応する人こそ恐いのである。


■コピペ用
ツイッターで2回に分けて貼れるようにした。自身のPCに保存しておいて。


●ネットの誹謗中傷は、恐いと言う人こそが恐いのです。
ヒステリーババアや頭のおかしい思想家のような『気にする価値の無い奴ら』だと察すれば恐くないはずなのに、
そういう素性を考えずに恐いと言う人が誹謗中傷に効果を与えてしまっているのです。

●ネットの誹謗中傷は、反応する人こそが恐いのです。
ネットで嚙み付かないと構われない程度の奴らに反応するのは、彼らにとって希少なコミュニケーションという動機になります。
皆で干せば動機が尽きやすいのに、反応する人が居ると長続きしすいのです。
http://theendou.adam.ne.jp/lib/r40.htm 


■釣られる人こそが恐い。それを踏まえた対策を

先に要点を言うと、対処にて肝心なのは、起点になる人よりも、少頻度多人数の釣られる人であるため、彼らを重視すべき。
  抑止可否 被害や対処難易度
起点 減りようがない、バカッターが典型例で、罰した実績を晒し上げても、そういう抑止力とは無縁に散発的に発生し続ける。 その人数だけ(1〜数人)だけでは勢いは半端で、拒否操作等の対処が追いつく量である。
釣られる人 彼らは抑止力や状況により発生量が変わるため、抑止しようが有る。 彼らが大量発生することにより、膨大な勢いとなり、対処しきれない量となる。

こういう事情から、起点の方だけ対策しても、頻度は減らず、個々の被害の程度は減らない。
逆に、釣られる人まで抑止できれば、頻度は抑えられ、個々の被害の程度も減らせる。

起点への個別対策は不要で、理由は、釣られる人に隈なく及ぶ基準や対策であれば起点にも及ぶこと。


釣られる人に関して重視すべきことは、彼らが少頻度多人数で構成される傾向。我も我もと抜きん出ない程度に便乗する、

そういう少頻度多数の積み重ねが膨大な誹謗中傷へと倍増する。

処罰の際にもそれを踏まえるべきで、たとえ書込1回だけでも逃さず対象にし、抑止力のために晒し上げるべき。
また、誹謗中傷を察知した際には、目立つように警告文を表示させる等、状況が悪いと思わせるべき。 


起点や釣られる人は2種類有り、捏造情報と言葉の暴力。特徴や対処法は共通する。

捏造情報の場合、例えば気に喰わない知人・芸能人に対する根も葉も無い話を先陣を切って行う位に重度な奴は散発的に発生し、
そういう発言により警察に捕ったり裁判沙汰になることが露呈しても、相変わらず出てくる。


しかしながら、上記の極稀な人以外は状況次第である。
便乗しても大丈夫そうなら沸き、逆に、警察や弁護士の介入を察すれると書かなかったり、急いでコメントを消す等する。
それと、主犯格だけ処罰されるのなら、やばくなってからコメント消せば済みそうなため、釣られる奴は減りにくい。


実害においては、釣られる人が居てこそ効果が高くなる。
釣られる奴が居ない場合、多くても同類が少し沸く程度の勢いであり、半端な勢いからして信じられにくく、拒否操作しきれる。
逆も然りで、釣られる人によって勢いを膨大にすれば、勢いによってリテラシーの低い第三者を信じさせやすくなり、拒否操作しきれなくなる。


言葉の暴力も同様。
アカウント停止や法的措置を喰らうかもしれない状況で先陣を切る奴は、直情的過ぎる奴と言うか、
抑止力が強い状況でも『ついカッとなってやってしまった』となる奴で、世の中に一定数存在し続ける。
そして、釣られる奴は逆の傾向。

同類が少し沸く程度で攻撃してくるだけなら、拒否的な機能の操作が余裕で追いつくし、

仮に放っておいても僅かな人数が暴言しているだけのため、ロクな実害にならないが、逆も然りである。


こういう事情を処罰基準に加味する必要がある。
主犯格だけでなく書込1回だけでも対象にしなければ、釣られる人によって膨大になるのは防げない。

・リスト化して書込回数も書いておくことにより、1回書いただけでも対象にされるのを分かりやすくすべき。
・名前だけだと同姓同名に濡れ衣が行くという名目で住所や電話番号まで出せば効果が高くなる。
 ※電話番号はネットコミュニティが認証に使うため、ブラックリスト化による再犯抑止にもなる。
・法治国家である都合上、予めその方針を明言しなければならない。つまり、有言実行。


■政府や運営の動向と、対案の必要性

先に要点をば。
政府やネットコミュニティ運営企業の裁量で対策したところで、ロクな対策をしやしない。

運営企業が行うおうとする内容は断片的な対策だけのため、誹謗中傷の隙を無くすには至らず、
しかも計画すら遅いという動きの悪さのため見通しが立たない。


政府が積極的に行おうとしていることは基準が曖昧なのままでの処罰、
その問題の1つには恣意的な言論統制も有るが、 もっと問題なことが有り、

それは被害が出た後の対処であって、未然に防ぐことではないこと

他の問題も有り、自民は何も対策出来なかった責任を左翼に責任転嫁して終わる見込みということ。
また、その転嫁には、罰則強化以外の対策を同時進行しなかったことも一緒くたにされる見込み。


そういう動向を阻止するために肝心なのは対案。
対案が有れば、奴等に本当に行うべきことを突き付けられるし、良い案が無いという口実で先延ばしされるのも防げる。
※そのため筆者自身でも対案を出す。


運営企業においては、ツイッター社のと、SNS業界全体のを例に出す。まずはツイッター社。
【例としてこの記事を出す】

実装内容は『ツイート時の返信設定』という断片的な機能1つだけで済ませようとしていて、
そのため以下の問題の解決にならず、効果に至らない。
先に補足:
   延べツイート数は1万超え(きゃりーぱみゅぱみゅさん、ダルビッシュ氏等)の人も居て、数千個は当たり前。
   そのため、有事の際の設定変更や既存ツイートへの処理は、一括処理出来なければ操作しきれない。
・既に有るツイートへの一括変更等の事後対処能力に欠けるため、緩く設定したら事後対応できない。
  そのため、対策するためには全ツイートを厳しく制限することになるが、それでも
  この機能実装より過去の分の一括設定は出来ないため、過去分のツイートにて攻撃されたら意味無い。
・別アカウントでの再流入への対策が無い都合上、別アカウントで継続してくる奴はブロックしきれないため、
  一度目を付けられたら半永久的に厳しく制限し続けなければならない。


ペース的にも当てにならない。
先に要点を言うと、上記のような断片的な実装ですら遅すぎるため、効果に至るのは時期的に当てにならない。

例に出した記事には対応予告した時期等も書かれていて、1月に予告して5月にユーザーテスト、
つまり予告してからユーザーテストまで4カ月かかっているが、開発事情からして(詳細以下)、やる気が有ったら、こんなに遅くならない。  
 
  ・処理の詳細が決まっているため、上流工程(要件を決め、概要を決め、詳細まで詰める)は不要、それの期間も不要。
  ・単一の設定項目および処理可否判定を追加する位のため、開発開始から結合テストまで1カ月で足りる。 
  ・規模の小ささ故に、予算の承認に時間かけるまでもなく、部課長級にて即座に工数出して着手すればいい。
  ・大手のユーザー達が望む機能のため、予定立て始めた時期から大手ユーザー達にを打診しておけば、
    試用版完成してすぐにユーザーテスト開始してもらえる。

こういう事情により、上層部が決断したら即座に開発着手し、着手から結合テストは苦戦しても1カ月もいらず、
  結合テスト後即ユーザーテストしているはずだが。


で、この遅いペースは、けっして効果に至るまでの総合的対策のペースではなく、たった1個の断片的なもの。
そのため、仮に効果に至るにしても、この遅いペースを何回も巡回する必要が有る。

結局、断片的にしかやる気が無いため実際の効果は当てにならず、
ペースも遅すぎるために時期的にも当てにならない。


次にSNS業界全体の例。
SNS事業者団体、誹謗中傷対策へという見出しの記事より。

まず、その記事の枠で囲った部分が声明文の原文だが、『〜〜〜に努めます』だけ。
他の文章も同様で、
【〜〜〜緊急声明を発表した】や【〜〜〜議論を行うと表明した】や【〜〜〜協力していくとした】だけ。
逆の言い方をすれば、声明と同時に着手する気は無い。着手しないどころか、決定や策定すら伴わない。
で、先のツイッター社の例で書いたように規模は程々のため、これらを言うだけのために時間を置く必要なんぞ無く、
仮にやる気が有るなら、こういう事を言っている最中にも策定から着手まで進められる。

俗に言う『前向きに検討します』のようなものと見なすべきだ。


具体例を挙げるだけ挙げているが、以下の記述のような抽象的な言葉だけで、具体的な実施内容や判定基準が無い。
  「他人への嫌がらせや侮辱を禁止する」
  「禁止事項を破った場合は、サービスの利用停止などを行う」
  「加害者になることを防ぐための啓発活動をする」
  「被害者の支援を行う」
そのため、以下例のように、実際に効果が有るわけでもないアピール的なものに止まると見なすべきだろう。

例えば上記の「他人への嫌がらせや侮辱を禁止する」の場合、方針概要だけのため、当てになるのは条文入れるくらい。
・別アカウントで凝りもせず来るのを防ぐための機能や法務能力を揃える当てはない。
・ 禁止事項詳細を詰めないまま「禁止事項を破った場合は、〜〜〜」と条文だけ書くような曖昧さのため、
  グレーゾーンっぽい言い回しを処分判定できる当ては無いと共に、
  我も我もと抜きんでない程度に便乗する人にまで及ぶ当ても無い。

・対応の早さが見えないため、自殺や精神的病になるのを防ぐのに間に合う当てがない。等。


政府が積極的に行おうとすることは、恣意性を10年以上黙殺したままでの罰則強化だ。

言論・表現の自由との兼ね合いは、【10年以上前から総務省等へ指摘され議事録に出る位のため】(文中検索で”の自由”、一覧する)
10年以上意識させられ続けているわけだが、今まで10年来黙殺してきたうえに、この期に及んでも黙殺し続けている 

仮に、恣意的な罰則強化だと問われるのを本当に回避する気が有るのなら(本当に=口先だけでは無いという意味)
そのための政策を進めているはずで、具体的には判例詳細のリスト化や公正な手順の策定くらい進めているはず。

勿論、10年来相応の進捗で。

そして、現状も相変わらずだ。Googleで『政府 誹謗中傷』とか『自民 プロジェクトチーム 誹謗 中傷』等で調べ回ったが、そういう動向のみ。
また、検索結果の中には『過度な規制は政治家や企業への正当な批判まで封じ込めてしまう懸念がある』と有り、
自民党的には(昔から言われていることのため)対応の必要性は分かっているはずだが、全く言及しない。

こういう経緯から、自民は意図的に恣意性を黙殺し続けていると見なすべき。


補足:
極左(立憲民主党等の会派)も目糞鼻糞で、構成員の人選を曖昧にしたままでの第三者機関の主張。
 ※自民も目糞鼻糞なのは同じで、その案に対しては黙殺するのみで、人選の公平さの改善には触れない。

尚、自民支持派と極左派が互いに、相手側の汚点だけを強調した上で、それを以って相手を全体視し合う構図なだけで、
目糞鼻糞なのは自民と極左だけ、つまり、他政党は該当しないことを念を押しておく。

筆者なりの対案は、比例代表当選議員毎に1名ずつ構成員を出すことだ。 ※普通に議員1名ずつだと死に票云々で公平でなくなる。
これなら現実的な難易度で公平に出来るだろうが、自民も極左も得しないというか、
自民的には恣意的介入を放棄すると共に、(死に票云々が無い分)比率的に得ではなく、極左的には恣意性を目論める方法を失う。


最も大きな問題は効果の面。
政府のやることは、前述した誹謗中傷事情と合わないため、未然に防止することにはならない。

・罰する基準が曖昧なままである都合上、釣られるやつ的には、自分のような少頻度多人数まで及ぶとは見なされにくく、
  釣られる奴によって被害が膨大になる事は防がれない。

・啓蒙面はやる気がないため、誹謗中傷に対して気にする価値を見出してしまう奴や、反応する奴の抑制にならず、
  それによる効果や動機の
抑制にもならない。

機能面や前科者再流入防止には言及しない為、行為の抑制に貢献することはない。

皆が望むのは、誹謗中傷が出た後に罰することよりも、未然に防ぐことではないのか?


他にも問題が有り、自民は、ロクに対策しなかった責任を左翼に転嫁して終わる見込みであること。

仮に罰職強化を目指すにしても、啓蒙や機能面も同時進行できるため、言及を避ける理由は無い。
しかしながら、自民は、罰則強化、および、それへの反対論のみに執着し、左派のせいで頓挫しているという構図を維持している。
そして、啓蒙や機能に限らず他の誹謗中傷関連全般は黙殺したままだ。

この構図を維持すれば、結局は罰則強化は頓挫すると共に、(他の対策は黙殺したままで)左派のせいで何も出来なかった構図になる。


こういう状況のため、政府や運営にまともな対策を行わせる策が必要だが、その際に重要なのは民衆側からの対案だ。

対案を出しておけば、政府や運営が恣意的な案を出してきても、その方法が対案より良いのかとか、
対案の方も同時に進められるはずとか、問い詰められる。

逆に、対案が無いままなら、政府や運営的には、自身に都合良い案のみを出して最善ということにすれば済む。

また、対案が有ることにより、より良い案が無いという口実で先延ばしされるのを防げる。
逆に、対案が無いなら『前向きに検討』のような回答で時間稼ぎされかねない。

というわけで、次の項にて、筆者なりに対案を出す。
※ネット事情に詳しい人は自分なりの案を出してほしい。


■対案を出す

誹謗中傷による被害には下図のように経路が有るため、経路を洗い出して経路毎に考えた方が判断しやすい。

以下にツイッターの場合の案を出す。


この図では多数の例が書いてあるが、多数な理由は、どの案が可能か掴めないから色々出しているだけだ。
中途半端な対策を散らしても結局漏れていき、効果は低いため、無暗に数を増やすよりも、
十分な効果が出るだけの質を確保することを優先すべき。

ツイッターに例にした理由:
何らかの誹謗中傷対策済み、かつ、ツイッターに類似したSNSが有れば、そこへの移住で解決するため、
ツイッター自身が改修されるか、(どの既存SNSが駄目な場合に)『ツイッターの改修版のような新しいSNS』を想定したこと。


各部分の説明(言うまでも無いのは省く)

中央の赤青:
●追従=釣られる人が増えること。
●初期被害=【追従】から長くても数日くらいまでの、継続的ではない段階。
●価値化=前述の「恐いという人こそ恐い」のこと。気にする価値を見出し、効果を与えてしまうこと。
●反応=前述の「反応する人こそ恐い」のこと。それにより動機が続くこと。


左側の図形:

●電話番号固定処分
  誹謗中傷の前科者に対し、電話番号の変更及び新規獲得を禁止すること。
  処分の回避と、処分による副作用を防ぐための手段。
  処分を回避させなければ、彼自身の再犯防止だけでなく、将来への候補者への抑止力にもなる。

 ・たとえ運営会社が誹謗中傷者に処分しても、認証方法は電話番号の都合上、電話番号変更されたら回避される。
 ・無関係な人が電話番号を変更した際、前科者の番号と被ったら冤罪を喰らってしまうが、
   かと言って、前科者が電話番号を変更した際に廃番すると、前科者が変更を重ねるに伴い電話番号が無駄に消費される。
 ・誹謗中傷が発生したサイト以外にも対応させるためには、本人照合のために電話番号を通知することになるが、
   電話番号を変更されると照合できず、対応も出来なくなる。
 ※本人に処分を勘付かれるよりも先に携帯電話会社に変更禁止させなければ、回避されかねない。

●全員処罰、公表含む=「釣られる人こそが恐い」に書いた対処方法。書込1回だけでも逃さず晒し上げる。

●書込頻度制限
  フォロワーでない者からの書込は、アカウント者が応答している場合を除き、書込回数を厳しく制限しても支障はないため、
   そういう事情を活かした制限設定を実装する。
  例えば、1ツイート毎1回制限や一定時間毎1回のような制限と、アカウント者が返答した場合の制限リセット。
  ※出来れば、アカウント毎の制限より電話番号毎の制限の方が、多数アカウント工作を防げるため良い。

●被書込量制限
  書込される側のアカウント毎の、期間毎(過去30日・月毎・日毎)の書込される数制限。
   言葉の暴力は、相手的に避けられない場所(例:本人のツイート)で十分な量を出せなければ、
   相手的には見なければ済んだり、半端な量のため効果がいまいちだったりする事情を踏まえた機能。

  ツイッターにはリツイート(書込者のアカウントの表示枠にて表示させる)があるため、殆どの人にとっては、
    万が一自分のツイートが大反響するのを想定した場合でも、被書込量を無制限にする必要が無い。

  ※削除や非表示した分が被書込数カウントに残らなければ意味無い。
  ※日毎だけだと、毎日上限まで攻撃される。

     1種だけしか実装できないなら、過去30日や1か月等の、長い期間。そうすれば増加ペースはかなり落ちる。
  ※デフォルト値は極低くすべき。
    設定を気にする頭すら無い馬鹿ですら被害防止できるようにするためには、余裕で拒否しきれる量にすべき。
    例えば、月毎なら100、日毎なら30。


●無価値化啓蒙
 「恐いと思う人こそが恐い」の項に書いたような、気にする価値を見出さなくする啓蒙を行う。
 予め民衆に受けるような啓蒙文を用意しておき(有名人やプロのイラストレータを起用する等) 
 時折各ユーザーに表示し(広告機能を利用)、関連事件が発生した際には特に学習されやすいため欠かさず表示。

●能動的相談
  理屈上は誹謗中傷のための相談先は揃っているため、それらに相談することで心的負担を抑えられるはずだが、
  被害者の主体性が乏しい場合は活用されないのが現実のため、その現実に対応すること。

  相談先の例は【総務省支援事業の窓口】【警視庁の解説と窓口】【リンク集にて色々紹介】等。
  ※この事件を受けて、【ネット悪用対策の社団法人】がホットライン始めるとの事。

  例えば、誹謗中傷を察知した際に目立つ所にボタンを表示させて押すだけで各相談先に回ったり、
   第三者が通報した際に相談役の方から案内メールを送る等の、主体性が乏しい奴でも対処し始められる仕組みを用意する。

【図を別ウィンドウで開く】


右側の図形:
●対大量操作簡易化のためのUI
  UI=ユーザーインターフェイス、ボタンやタブ選択肢等の、利用者と機器との遣り取りの仕組み。
  例えば、有名人に多人数群がった場合、以下の操作を1人ずつ行うのは作業効率が悪いため、対処可能量が著しく落ちる。
     各コメントの右上のV字マークを見つけて、押し、「リストから追加/削除」を押す。
  対応例としては
   ・一括操作用画面を用意(WEBメールの削除操作のように、まとめてチェック入れてから実行)
   ・個々のコメント削除の際、対象アカウントの過去分も全削除し、ブロックも行う。
   ・自分の全てのツイートへの一括設定変更、コメント書込停止等。

  ツイートに対する処理も同様、多い人だと延べ数千以上有り、その量でも早く操作できなければならない。

●表示承認制と、代理人〃
 誰かが書込しても、管理者または代理人が承認するまで表示されない機能のこと。
 これは「釣られる人こそ恐い」の対策に有効で、起点となる人が書き込んでも、
 釣られる人候補者には表示されない為、釣られる人候補者は気付かない。

 ・アカウント所有者自身を承認者に設定した場合は自身で管理、他の人を選んだ場合は代理人。
 ・承認用の画面(別途容易)か、【未承認も表示】ボタン押下した場合のみで未承認表示にすれば、
   代理人を立てた場合(または、本人が心労な場合)に本人が未承認のコメントを見るのを回避できる。


●非反応啓蒙
 「反応する人こそが恐い」という考えを啓蒙すること。前述の無価値化啓蒙と一緒に行う。
 ただし、この方法だけだでは重度の馬鹿まで行き渡らない都合上、反応する奴を全滅できないため、
 次項の『反応への処分』によって全滅を図る。

●反応への処分
  上記の非反応啓蒙に応じない奴まで抑えるためには、処分により強制的に抑える必要がある。
  ※逆に、処分だけの場合、処分すべき対象が膨大になる都合上、処分しきれずに効果が無くなる、結局は両方必要。

  その際に有効な方法だが、アカウントを 即 座 に 一定日数停止にするのも含めれば
  起きている最中の誹謗中傷被害を抑えるのにも役に立つ。

  処分した際、抑止力を発生させるために、実績を広く確実に知らせなくてはならない。
  本人のアカウント名などの個人情報まで晒すのは必須ではないが、人数やアカウント停止日数の公表は必要。
  気付かせる率向上のために、処分履歴へのリンクを、広告機能を流用して表示するか、画面上部に表示させる等すべき。

  政府や運営企業が応じない場合、民衆によって『荒らしに反応する荒らし』を制裁する必要が出てくる。
   彼らも当然自分のアカウントとと幾つかのツイートを持っているので、出来るだけ多くの人で非難しに行くなり、
   『コメントを付けてリツイート』にて晒上げる等。

  処分前に警告する方法も有るが、そもそも、啓蒙策をしても反応を止めない奴は相応に独善的と推測されるため、
    警告しても独善的判断を優先して応じにくいと推測すべき。


●電話番号毎処理
  書込回数制限やブロック等の対処処理において、アカウントのような量産されやすいものに対する処理ではなく、
  電話番号のような量産困難なものに対する処理にする。
  ・ブロック等の拒否機能は、既に規制されているアカウントと同じ電話番号のアカウントでもブロック判定ヒットすれば、
    アカウントを切り替えて粘着し続けるのは殆ど不可能になる。

  ・特定の書込先アカウントへの書込回数制限は、電話番号毎にすれば、1人当たりの書込量を抑えられる。

  ※この方法を実装する場合、電話番号認証の無いアカウントへの一括規制、または、登録時の電話番号認証必須化も必要。

●外部主導対処
  被害者自身が主体的に動けず、仮に判断しよとしてもロクに判断できない場合への対応、以下例。
  ・自動察知または通報された場合、メッセージの送付や、相談案内ボタンを目立つように表示させる等でアプローチ。
  ・運営や代理人によって厳しい規制を一括操作する。


重ねて言うが、ネット事情に詳しい人は自分なりの案を出してほしい。
対案の突き付けの積み重ねが、政府や運営に行うべきことを行わせる元となる。


■あとがき 警告した通りの現状
この記事の旧版は15年前(2005年)に書いたが、そこで警告したことが現実となっている。
以下、警告の抜粋。


○ネットコミュニティの大衆化は抑制すべきだ
(中略) こんな馬鹿どもにネットコミュニティが普及したら、「2ちゃんねる的な恐ろしさ」は一気に増えます。
大衆化したいのなら、誹謗中傷に対する対処手段を用意してから行うべきです。

○企業が運営するサイトに対する対応は慎重に。
企業が運営するサイトは、良いイメージを繕うために「非反応」する能力を促すことはしません。
「非反応」する能力を促すということは「自分のサイトには誹謗中傷が存在していること」を認めるわけでうから。

○無闇にネットコミュニティのイメージを綺麗にしないように
前述したように、ネットコミュニティのイメージを綺麗にすると、相応に平和ボケ野郎どもが来ます。
彼らは「非反応」する能力に乏しいので、その分誹謗中傷が蔓延りやすくなります。
ネットコミュニティというものは、昔と同じように、情報を疑う姿勢を持ちつつ活動する場所であるべきです。


まぁ、当然の結果だが。
今まで、誹謗中傷に対しては、怒りや非難のような役に立たないことばかり一丁前で、進歩していないのだから。
各自が自分なりに出来ることを行わなければ、誹謗中傷は防げない。
この記事のタイトルに#(ツイッターのタグ)が付いている理由もそれで、ツイッターで煽るのに少しでも役立とうということ。


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