六次の隔たり論の詭弁性と
    人の繋がりの意義の強さについて。


■2021/7/11追記
2006年に書いた記事です。当時そのままです。



『六次の隔たり論』とは『人と人とは、どの人同士も大体6人の人を経由して繋がっているものだ』という論です。
ネット界では『SNS(ソーシャルネット)は六次の隔たり論を参考に作られた』と言う情報が出回っていますし、SNSが『六次の隔たり論』のようになるかのように書いた記事も有ります。
【Googleの検索結果】
しかし、この『六次の隔たり論』は詭弁です。信じないように。
どのように詭弁なのか、詳しく書いていきます。


■実験は本当に成功したのか?

六次の隔たり論の根拠となる実験は、手紙を様々な人に転送させて人間関係の繋がりを見定める実験です。
目標となる人に手紙が転送されたら成功とし、何人経由したかを勘定します。
で、目標となる人に転送された場合には平均5.83人を経由したから六次と結論付けているわけです。
しかし、Wikipediaで調べてみたところ、成功率はたった26.25%です。
(出した手紙160通中42通が成功)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%AC%A1%E3%81%AE%E9%9A%94%E3%81%9F%E3%82%8A
※10/28日時点でのWikipediaを引用していますが、この記事が出た後に『六次の隔たり論擁護派』の工作員によって改変される可能性が有りますので、あしからず。

この実験は73.75%も失敗しているのです。
まぁ、20〜30%位なら失敗と片付けるのも分かりますが、73.75%もの割合を考慮に入れないのは間違っていないのかと?
特に、実験が行われたアメリカは人種間で社会が分かれていることが常識的な国であり、熟練の学者(=ミルグラム)が『その事実』を考えないことなど有り得ないわけです。
彼らは、その辺に関して言わないことによって嘘を付いているのでしょうねぇ。
そう・・・『人と人とは何人介しても繋がらないかもしれない』という結論を避けたいがために。


まぁ、この時点で詭弁確定なのですが、他に肝心なことが有るので続けます。
それは『人の繋がりの基準』に関してです。


■人間関係の意義の強さ

一概に人の繋がりと言えども、その意義の強さはピンキリです。
ここでの『意義の強さ』とは『人と人との繋がりによって、どれだけのことを為し得るか?』(どれだけ多くの責任・労力・金銭等を負担出来るか?)です。
それを左右するのは信頼関係・立場の共有(←家族・同僚等)・慣れ親しみ具合(交流期間や頻度)・感情や話題の共有・相互熟知等です。
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人の繋がりの意義の強さは、(繋がる2者の)どちらから見ても同じ強さというわけでもないです。
ごく当たり前の事ですが、人と人とは偶然でもなければ双方の積極性等が同じではなく、大概は差が有り、それによって意義の強さに差が出ます。
で、(繋がる2者の)積極性等が高い側はより多大な事を為し得ますが、低い側は逆であり、高い側よりも軽度の事しか為し得ません。
また、場合によっては、積極性が片方だけにしかない、つまり『一方的な繋がり』も有るわけです。
この場合、何かを為し得るのは積極性等が有る側から行動を起こし負担する場合のみで、逆は有りません。


■実験の人間関係基準

六次の隔たり論の実験では測定対象を『意義の強い繋がり』に絞ったわけではないので注意すべきです。
例えば、某ソフトバンクのSNS本では『ファーストネームで呼び合う関係』に送られたと書いてあり、そこから人の繋がりを強く語っていますが、それは巧妙な詭弁です。
※『ファーストネーム』と言う単語をさり気なく出して『意義の強い人間関係に絞った』と思わせる詭弁です。
Googleで検索するとアメリカにおけるファーストネームの記事が色々と出てきますが、どの記事も『ファーストネームは親しい相手のみに使う』とは書いておらず、逆の内容ばかりです。
最も簡潔な記事を引用すると『ファーストネームで呼び合っているからと言って、何も意味しない。だから、そういうことでその関係を評価するのは止めた方が良いと思う』です。
ですので、ファーストネーム云々は考慮に入れるべきではないです。
(他:コレとか コレとか コレの中段とか コレとか
他の記事を見てみても、大体は『ターゲットとなる人物となる人を知っていそうな人に送ってくれ』という類で、別に親しい相手に絞ってはいません。
ですので、六次の隔たり論の実験の測定対象は『別に意義の強い相手でなくても手紙を転送する程度なら出来る相手全般』が該当します。
――――――――――――――――――――――――――――――
そして・・・・・実験の手紙は多数で幅広く手紙を送られることになります。
例えば、親戚に手紙を送る場合ですが、『アメリカでファーストネームで呼び合う親戚』ですので、付き合いの乏しい・縁遠い親戚まで、かなり多くが該当します。
さらに、手紙が送れらる場合、個人単位ではなく住居単位で認知されますので、その親戚の家族にも介せられやすいでしょう。
そして・・・・・この件は親戚だけじゃないです。
上記と同様の事が学校・仕事・サークル等も含めた人間関係全てに該当するわけです。
(同僚・クラスメイト・サークル仲間って一体何人?)
――――――――――――――――――――――――――――――
そういうのを何人も介することは、大きい数字を何回か累乗していくようなものです。
ちなみに、Wikipediaから引用すると、43.15人の知り合いを持つ人間を6人介すと64億54829873人位、22.42人の場合は1億27002903人位です。
(まぁ、この計算は重複を考慮に入れていませんが)
その条件なら物凄い人数に繋がって当然でしょ。


■実験の難易度

六次の隔たり論の実験は、人の繋がりの意義の強さに関して凄く難易度の低い実験です。
この実験での要求水準は『別にシビアでもない手紙を転送する程度』です。
その程度なら意義の薄い繋がりでも行われるでしょうし、こういう事(手紙の転送等)に積極的な人は形だけの繋がりの相手にも手紙を送るでしょう。
何故なら、この場合は特に責任・労力・時間・金銭は要りませんし、それほど好意・信頼が無い相手にも行う気になる事柄ですから。
また、手紙を送る側のみが積極的であればいいので、一方的な繋がりでも行われ得ます。
――――――――――――――――――――――――――――――
しかし、それは他の行為も可能がどうかとは話が別です。
責任・労力・時間・金銭等を少なからず負担する行為の場合は『手紙を転送する程度しか行う気にならない相手』には為されにくいわけです。
また、(繋がる2者の)双方共に何かを負担する場合は、一方的な繋がりでは為されにくいわけです。
ですので、いくら六次の隔たり論の実験(手紙の転送)で六次の繋がりが発生したとしても、それを『手紙の転送以外の行為』に当て嵌めるのは間違いです。
――――――――――――――――――――――――――――――
要は、人の繋がりの意義の強さ・双方向性次第で可能な行為が違ってくるので、その点を踏まえなければならないということです。


■意義の強い繋がりの割合

前述したように、人の繋がりには意義の強いものと強くないものが有るわけですが、その割合を踏まえておく必要があります。
まぁ、仮に『意義の強い繋がり』の割合が高いなら、全体を語る際は『意義の強くない繋がり』を省き、『意義の強い繋がり』を軸に語るべきでしょう。割合的に。
しかし、割合が低いのならむしろ逆で、全体を語る際は『意義の強い繋がり』を省き、『意義の強くない繋がり』を軸に語るべきでしょう。割合的に。
――――――――――――――――――――――――――――――
さてさて、職場・クラスメイト・親類を例を表にしてみます。
以下の表を見て、それぞれの項目が一般的にどれくらいの人数・割合か想像してみてください。
※まぁ、具体的のどのような人達かは言いませんが、一般感覚の無い人達には正しく想像出来ないでしょうが(嘲笑

  職場 クラス
メイト
親類
濃い繋がり 社内営業抜きに
よく交流する同僚。
よく遊ぶ仲間で
互いに好意的なもの。
行事以外でも時折
私的に交流する親類。
大体は家族・従姉妹まで。
薄い繋がり・
やや一方的
な繋がり
たまに私的に交流する
同僚。仕事で多く
交流し、互いに
悪く思わない同僚。
たまには遊ぶ相手。
特に一緒に遊ばないが
用事の時くらいは
気軽に話せる相手。
毎年恒例の行事とかで
年に数回は仲良くするが、
他の交流に乏しい親類。
形だけの
繋がり・
一方的な
繋がり
ただ同僚なだけ。
仕事の都合上
仲良くしているだけ。
よく思わない同僚。
ただ同じクラスなだけ。
人間関係の都合上
仲良くしているだけ。
遠縁・縁が極薄い親類。
音沙汰の無い親類。
親類なので一応
仲良くしているだけ。

要は、人と人との繋がり全体のうち、意義の強い繋がりの割合は相当少なく、意義の強くない繋がり大半を占めているわけです。
ですので、(この章の最初にも書きましたが)全体を語る場合には『濃くない繋がり』を軸にするべきでしょう。割合的に。
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※この件は『パレードの法則』『社会のピラミッド構造』が当てはまり得ますが・・・・・
で、横文字馬鹿ども『パレードの法則』が大好きなのですが、どうしてこの件には適用しないかと?・・・・・まぁ、適用すると都合が悪いのでしょうが(苦笑


■前提条件の摩り替え。

この実験では『前提条件の摩り替え』と言う詭弁を用いて都合の良いように結論を作り上げています。
この実験では(3つ前の章で書いた通り)測定対象を『意義が強い繋がりに絞らず、繋がり全体』としています。
で、人の繋がりは(前の章で書いた通り)主に意義の強くないもので構成されているわけですので、全体論を語る際には『意義の強くない繋がり』を前提条件とするはずです。
しかしながら、結論を言う際には、その前提条件が、まるで『意義の強い人のみに絞った知人・親戚』であるかのように言っています。
まぁ、直接的な言い方はしていませんが、いかにも価値が有るように、いかにも少なからず負担が要る物事を為し得るかのように言っています。


■意義の濃い人だけで繋がる割合

複数人介して繋がる場合、『意義の強い繋がりだけで繋がる割合』は、介する人数が増える毎に減っていきます。
例えば、横文字馬鹿どもが大好きな『パレードの法則』を適用してみると(=意義の強い繋がりの割合を20%と仮定すると)、『純粋に濃い繋がりだけで介する繋がり』の割合は以下のようになります。

次数 2次
1人目
3次
2人目
4次
3人目
5次
4人目
6次
5人目
割合 20%
5分の1
4%
25分の1
0.8%
125分の1
0.16%
625分の1
0.032%
3125分の1

まぁ、要求水準を甘くして『意義が多少は有る繋がり』の割合を50%と仮定してみます。

次数 2次
1人目
3次
2人目
4次
3人目
5次
4人目
6次
5人目
割合 50%
2分の1
25%
4分の1
12.5%
8分の1
6.25%
16分の1
3.125%
32分の1

要は、六次で繋がる場合、たとえ要求水準を甘くしても(下の表)『意義が多少は有る繋がり』だけ介する割合は極めて低く、要求水準を甘くしない場合は(上の表)無い同然です。




■正しい実験結果

◆我々は6人位介して繋がる場合も有るが、そう言えるのは26・25%だけである。
◆26・25%繋がっているとは言えども、それは『人の繋がりの意義に関する要求水準』を凄く低くした実験での結果であり、要求水準を低くしないのなら更に低く見積もるべきである。
◆複数人介して繋がる場合、『意義が強い繋がりだけ介する割合』は、介する人数が増える毎に減っていき、六次で繋がる場合では『意義が強い繋がりだけで繋がる割合』は無い同然であり、ほぼ全ては意義の薄い・形だけの・一方的なものを含んだ繋がりである。




■あとがき

世間は相変わらず『いつも通りの繋がり』なのでR
六次の隔たりとか何とか騒いだところで、人の繋がりの何たるかが変わったわけではないのでR

この記事が他の六次の隔たり論の記事を差し置いてGoogle検索のTOPに踊り出るのを期待しているのでR
ミクシィでの『六次の隔たり論』についても書こうと思ったのでRが、現時点で長文過ぎなので省略するのでR

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