一部のヲタクにとってのリアリティの基準

2007年の記事です。
この記事は閉鎖前の人気記事の1つでしたが(数カ月で数十万アクセス)、
理由はおっぱいに関する記述がうけたからです。 

以下、当時の文章そのまま。


ヲタク媒体の良し悪しを見分けるためにはリアリティも見分ける必要も有りますが、一部のヲタクのリアリティの基準は一般人と違うので、その違いを踏まえなければなりません。
たとえ一般的にはリアリティを感じない描写でも、一部のヲタクが十分にリアリティを感じれる場合が有り、一般的な感覚でリアリティを判断すると一部のヲタクがリアリティに浸る媒体を見逃すことになります。
一部のヲタクとは、要は現実感覚の乏しいヲタクです。


注意:
その傾向を持つヲタクでも程度に差が有ります。
この記事で書くのは典型例であり、その傾向を持つヲタクでも多くは軽度であり、逆に典型例以上のヲタクも居るわけです。
ヲタクも多くは現実感覚をまともに持っているわけであり、その典型例と同程度のヲタクはかなり少数派ですので、偏見を持たないように。


■リアリティの乖離性

一部のヲタクがリアリティを感じれる描写は『リアリティの乖離性』という特徴をもっていて、それは『リアリティを追及した描写であっても、実際には現実と乖離していること』です。
細かく分けると3つに分かれます。

1つ目は『個々の側面毎の乖離性』です。
例えば『世界設定が現実離れしているのに対し、色恋沙汰はリアリティを求める』です。
この場合、一般的にはリアリティが欠けていると感じますが、『世界設定面のリアリティが欠けていること』を意識ないヲタクなら色恋沙汰のリアリティに浸れるわけです。

2つ目は『1つの側面内での乖離性』です。
とある側面内の各部分のリアリティが乖離していることです。
肉体描写を例にすると『乳首にはリアリティを出す反面、目や鼻はアニメチック』です。
この場合、一般的にはアニメチックに見えますが、見たい部位以外を見ようとしないヲタクならリアリティを感じれるわけです。

3つ目は『本物のリアリティとの乖離性』です。
現実と乖離した内容にリアリティが追求されているものです。
例えて言うなら『一般的には有り得ない乳』や『現実に有り得ない程に都合の良い恋愛展開』です。
この場合、一般的には『その描写』と現実を照らし合わせてしまうのでリアリティを感じれませんが、現実と正しく照らし合わせないヲタクならリアリティに浸れるわけです。


■リアリティ乖離性の背景

リアリティ乖離性は、軽度なら普通に有るものです。
まぁ、普通の人でも『出来るだけ自分が意識したいことだけ意識したい』という心理は多少は持つわけですので、媒体を作る側も『そういう心理』に応じ、媒体にて描かれるリアリティはどの部分でも同じ位ではなく、多少なら差が付いても普通というわけです。
また、普通の人でも少しくらいは甘い夢を現実に描くわけですので、媒体を作る側も『そういう心理』に応じ、媒体にて描かれるリアリティは少しくらい脚色されていても普通というわけです。

しかしながら、そういう描写が極端になることや、極端な描写を好む人は多くはないです。
その背景には現実感覚が有ります。
まともな人なら最低限は現実感覚が根付いていて、リアルを意識する時には最低限は現実感覚を持ち込みます。
それは媒体を読む時もで、リアリティを意識する場合には現実感覚を持ち込みます。
(擬似の世界と割り切った描写は話が別)
その都合上、重度に現実と乖離した描写を見ると、現実感覚との矛盾を感じてしまってリアリティを感じにくくなりますし、それどころか、違和感や生理的嫌悪感を感じることも多々有るわけです。

しかし、現実感覚が欠けた人は話が別です。
そういう人の場合、媒体にてリアルを意識する場合には自分が望む側面のみのリアリティを気にしたり、自分が望むものを(←それが本物と乖離していても)リアルだと信じようとするわけです。
ですので、現実と乖離していてもリアリティを感じやすいですし、違和感を感じにくいです。

で、媒体を作る側も、市場原理の都合上、『こういう心理の人』に応じやすいわけです。
むしろ、そういう人は、ヘビーユーザーとして儲けやすい相手です。
そういう人は現実感覚が欠けているだけに、社会生活や恋愛を順調にするために金を使うよりも自分が興味を持つものに金を使う癖が異様に強いわけですから。
壁|・A・) エロゲーやギャルゲーや関連グッズの値段や品数を見てみるべしべし。


■個々の側面毎の乖離性

これは多くの場合、性欲に直接関わる側面のリアリティに優れながらも他のどこかが欠けるものです。
例えば、肉体描写のリアリティに優れても、世界設定が非現実的だったり恋愛対象の心情変化に現実味が無かったりです。

これは軽度なら一般的に有ることです。
多くの媒体では、色恋沙汰や推理(探偵)等、一部の側面を『読み手が浸りたい部分』メインに描くのであり、作品にリアリティを求める場合には『メインにしている側面』に懲り、他は補足的ですから。
ただし、普通は他の側面も描かなければ不自然な場合は描きます。
そうでなければ一般的にはリアリティを感じれないからです。
何故なら、普通は、たとえ特定の物事をリアリティを求める時でも、他の側面も考えるべき状況では他の側面も意識し、他の側面も含めてリアリティを評価しますので。
しかし、現実感覚が根付いていない人は違うわけです。
自分の意識したい側面のみに意識を集中しようとするので、たとえ他の側面のリアリティが異様に欠けていても気にせず、自分がリアリティに浸りたい側面だけからリアリティを評価するわけです。


他の側面のリアリティが欠ける場合、その描かれ方は大きく2種類に分かれます。
『非現実さを描く』と『意識させないようにする』です。

前者の例は『魔法文明社会』とかの非現実な世界設定です。
前者の場合、読み手は逃避したい側面から逃避しつつ望む側面のリアリティに浸れるわけです。
例えば、社会から逃避しつつ理想の恋愛シチュエーションに浸るとか。

後者の例は無難な学園設定や凡庸な主人公です。
後者の場合、逃避かどうか以前に意識させすらしないものです。
後者の場合、描くものを『読み手の心情に障らないもの』にすることによって、一部のヲタクが『それ』を意識させられずに済むようにするわけです。

壁|・A・) こういう手法は、丸ごとリアリティに欠けた媒体にも当てはまることですが。


個々の側面が乖離した媒体は一般的はリアリティに浸れないものですが、一部のヲタクにとってはむしろ逆です。
現実感覚に欠けているヲタクの場合、自分が意識したい物事以外は最低限も考えたくないわけですが、一般的な媒体では他の側面も最低限は描かれているわけです。
それは言い換えれば考えたくない事まで考えさせられるわけであり、その分リアリティに浸りにくいわけです。
それに比べて、個々の側面が乖離した媒体なら、本人は考えたくないことから解放されるので、存分にリアリティに浸れるわけです。


■1つの側面内の乖離性

肉体描写を例にします。
ヲタク媒体の中には肉体描写におけるリアリティの乖離性が甚だしい場合が有ります。
そういう描写は、世間一般ではリアリティに乏しいと判断されても、一部のヲタクは十分に感じるものです。
とあるアニメ評論記事より例を出します。(情報仲介元はココ)

・・・・・しかも、乳首の先の凹みまで作画されている。ひえ〜。顔の方は、鼻の穴すら描いていないのに、だ。アニメのキャラクターというのが何かが、よく分かる例でもある(つまり、アニメのキャラとは、見たいパーツは丹念に描かれ、見たくないパーツは排除されたものなのだ)。

要は、乳首のリアリティと他の部分リアリティが凄く乖離しているわけです。
こういう描写は、一般的な感覚では『肉体描写の一部がデフォルメされていること』が目に付くのでアニメチックに感じます。
しかし、現実感覚に欠けた人の場合は、本人が興味を持つ部位のみ意識し、他の部位をないがしろにするので、本人が興味を持つ部位のリアリティのみによってリアリティを審美し、他の部分のリアリティの欠け具合が顕著でも気にならないのです。


もう1つ、『本物のリアリティとの乖離性』の例も挙げておきます。

・・・・・だけど、よくよく考えると、本物のオッパイは、あそこまで柔らかく動かないはずだ・・・・・描き手は(おそらく、うるし原さん本人だろう)は、リアルな動きを描こうとしたのかもしれないが、結果的に「リアル以上のもの」になっている。本物以上に、観た人間が本物らしいと感じる映像になっているのだ。

この例のような描写は、一般的には『この描写が本物とは違うこと』が意識され、あまりリアリティを感じれないのですが、現実感覚に欠けた人なら十二分にリアリティを感じれるわけです。
(十二分は本物以上という意味です)
こういう描写は現実(現実の乳の揺れ)よりも理想に近いので、それにリアリティが加えられれば本物の乳の揺れよりも浸れるわけです。

まぁ、例の記事の書き手は客観的な視点も持っているので『その描写が本物のリアリティと乖離していること』を認識していますが、現実感覚欠如が重度な男だと認識すらしないわけです。


■非物理的側面のリアリティ。

まぁ、肉体描写は露出度の高い絵を1つ見れば分かりますし、社会の描写は概要やイメージ画像を見れば分かります。
しかし、精神面や恋愛展開や現実可能性等のリアリティは、中身をきちんと見なければ分からない場合が多いです。
(これらを便宜上『非物理的側面』と総称します)


例えば小説は文章だけで表現しますが、人間の心情変化や言動を精巧に描くことによって、精神面を本物のように描けるわけです。
ヲタク媒体も同様に、たとえ描かれる少女が『現実に有り得ない程に男性都合的な妹的少女』でも、心情変化や言動を精巧に描けば、精神面を本物の少女のように描けるわけです。
ですので、文章の精巧さも見抜く必要が有りますが、そのために文章をきちんと読まなければならないわけです。


『1つの側面内での乖離性』は肉体描写に限ったことではなく、文章やストーリ展開等にも言えることです。
読み手が意識したい部分は精巧に描いて読み手が意識したくない部分はデフォルメするわけです。

女性の精神面の例だと、萌えや性的感情は精巧にして、現実臭い部分やデリカシーはデフォルメするとか。(駄目男は女性のデリカシーに細かく気を配る意欲や能力に欠けるので)
そういうのは、一般的にはチープとかアニメチックとか感じますが、現実感覚に欠けた男にとっては逆で、意識したくないことから解放される分リアリティに優れるわけです。

恋愛展開や現実可能性も似たような感じです。(省略)


『本物のリアリティとの乖離性』は、物理的な側面では描かれにくい反面、非物理的側面では描かれやすいです。

例えば、社会観は、いくら自分の都合の良いように解釈しようとしても、社会から現実を突き付けられるわけです。
『女性の乳の大きさの現実』も同様に、たとえ本人が大きい乳ばかり望んでも、夏の街やアイドル雑誌で乳を漁れば現実を見せつけられるわけです。
このように、たとえ本人が現実を正しく分ろうとしなくても外圧にとって分からされるわけです。
その都合上、媒体にて『本物のリアリティとの乖離性』を出しても、それが本物だと思われにくいわけです。
壁|・A・) まぁ、乳の揺れは、リアル女性のを分ってない男だと話は別ですが。

しかし、恋愛に関する非物理的側面は話が別です。
明確な形で示されないので現実感覚に欠けた男は妄想し放題ですし、そういう男に対して現実を突きつける人も乏しいですし、それに、本人は嫌な現実からは逃げたければ逃げれるので現実感覚が欠如したままでいやすいのです。
その都合上、媒体にて『本物のリアリティとの乖離性』を描けば、現実感覚が欠けた男は『その描写』と現実を照らし合わせずに、それが本物だと思ってリアリティに浸りやすいわけです。

非物理的側面は詭弁によって『本物のリアリティとの乖離性』を出すことも出来ます。
例えば、あたかも一般的であるかのように語ったり、理屈をこねて現実に有り得るかのように書いたりしつつ、肉体描写や文章を精巧にするわけです。
まぁ、世の中には色恋沙汰の現実を全然分かっていない男や、正しく認識しようとしない男もいるわけですので、一般的に嘘だと見抜けるものでも人によっては信じるわけです。
壁|・A・) まぁ、この件は男性週刊誌の漫画でOLや看護婦を描く時でもですが。


壁|・A・) 最後に念を押しますが、夢を夢と割り切ったものは該当しないです。

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